タイトル 田園に死す

公開年

1974年

監督

寺山修司

脚本

寺山修司

主演

菅貫太郎

制作国

日本

 

寺山修司は私が物心ついたころ、既に著名な作家となっていて、少年時代の私の耳にもそれとなく入って来たが、なかなか作品を見る機会はなかった。それに私がすむ九州の片田舎と大都会とは、当然ながら温度差もあったと思う。そんなわけで私が寺山修司と接し始めたのは大学に入って以降で、その頃は覗きの容疑で逮捕されたりかなり体調が悪化し、入院したりで、そうしたニュースの方が多くなっていた事もあって真剣には見なかったと思う。好みではなかったという事も大きかっただろうが。

そんな私が寺山修司を強く意識せざるを得なくなったのは、やはり本作を見て以降だったと思う。それぐらいインパクトは強烈だった。ただ、考察しなくては分からない映画が苦手な私にとって、本作は今でも好きな映画ではない。それにこのブログの本旨は”B級映画”なので、その視点にのっとって書いているのでご容赦いただきたい。

本作の粗筋をどう伝えようかと迷ったものの、そのまま書いては訳ワカメ状態なので出来るだけ分かりやすく書きたいと思うが、私も完全に理解しているわけではないので、ファンの人からすれば「何言ってんだ」的になる可能性もあるが、ご容赦いただきたいと思う。

シリアスなシーンなのにこの演出は笑った

 

まず本作の前半部分は、主人公で映画監督の「私」の自伝的な映画が流れる事になる。それは「私」が少年時代を過ごした恐山の麓の村。母と二人で暮らしているいわゆる母子家庭。閉鎖的な村で中学生の私の、数少ない楽しみといえば、イタコに父親の霊を呼び出させて会話をすること。そして、隣にある地主の妻で妄想する事。この地主の妻はよその村から引っ越してきた人で、とても美しく彼女を思わない日はないくらい私は入れ込んでいた。この人妻を演じているのが八千草薫。当時すでに40代だがその美しさは格別。ちなみに村の人間はだいたい白塗りで描かれているが、彼女とその夫の地主など極僅かは地肌となっているが、これは恐らく「何らかの役割を演じているか否か」ではないかと思う。つまり地主夫妻は「役割」を演じていない事になる。

ある日、村にサーカスがやって来た事が切っ掛けで外へのあこがれが強くなった私は、隣の人妻と家出を決意する。

ここで物語が現代に飛び、映画監督となった私と評論家が試写で完成部分を見ているシーンへとなる。前述の通り、ここまでは映画で私の思い出を元に描いたもの。その後、飲みに行った私に評論家は「100年前に遡って君のおばあさんを殺したらどうなると思う?」という、よくあるタイムパラソックスを問われ言葉に窮する私。そのまま自分のアパートに戻った私は、そこで20年前の私と出会い思い出補正される前の本当の生々しい過去にさかのぼることになる。

男なら誰もが夢見る筆おろし?

 

その世界は醜悪で父なし子を産んだ女は、村中から疎まれた挙句、赤ん坊を川に流してしまう。所謂間引きだ。その後に川からひな人形が流れてくるのがなんともシュールだが、これは赤ん坊は女の子だったので、言わんとすることは分かる。ちなみにこの父無し子の母親は、映画後半に再登場して、ある重要な役割を果たすことになる。そして人妻は、清楚な女ではなく、戦後の混乱期に淫売で、それを隠して地主の家に嫁いだが、昔の恋人であった共産党の男と再会し、最後には心中するという悲惨な最期となる。この共産党員の愛人を演じているのが原田芳雄。こうしたリアルで生々しい過去を振り返った私だったが、ここでその物語に20年後の私が登場。少年時代の私を村に縛り付ける母親を殺すように、20年前の私を示唆するのだった。果たして母親殺しは成功するか?

突然登場する三上寛

 

結局、何らの回答を出してくれていないので、本作は考察するしかないが、寺山修司のインナースペースを描いた映画であることは間違いないと思う。自分の過去を振り返り、自分をいまだに縛り付けているものからの解放しようとの試みが大きなテーマだとは思う。そして私を縛り付けているのは母親であって、その母からの自分の解放を果たそうという流れなのではと推測している。そして衝撃的なラストシーンは、結局その呪縛からは逃れられないというあきらめの境地を表現したのだろう。ちなみにあのシーンは、「幕末太陽傳」での実現しなかったラストシーンから影響を受けたといわれ、一時広く流布されたが現在では明確な根拠がない事から、はっきりしないようだ。ちなみにあのシーンは、カメラがかなり遠くにセットされていたので、映画の撮影と分からない人が多くジロジロと覗かれたので、主演の菅貫太郎によると「ひどく恥ずかしかった」そうだ。

その菅貫太郎だが、当たり役となった「13人の刺客」での、エキセントリックな殿様に代表される悪役が多いが本作では、本作では真逆と言ってもいい自分の過去に苦悶する映画監督の役を見事に演じている。本作の成功の最大の要因は彼の存在が大きいと思う。

ちなみに私は本作に、「ねじ式」以降のつげ義春を思わせるものがある様に感じて調べてみたが、特に資料として見つからなかった。本作は74年。「ねじ式」は68年なので、寺山修司がつげ義春の影響を受けた事になるが、原型は65年発行の「歌集」なのでどうだろうか。