タイトル デッドコースター

公開年

2003年

監督

デビッド・R・エリス

脚本

ジェフリー・レディック エリック・ブレス

主演

A・J・クック

制作国

アメリカ

 

運命に逆らう若者たちの苦闘を描いた「ファイナル・デスティネーション」は予想外の大ヒットとなった。そうなると続編が作られるのは当然の事で、特に低予算で集客が望めるホラー映画は、ほぼ間違いなく続編が作られる。もっとも、前作は2300万ドル。本作も2600万ドルとホラー映画としてはかなり奮発している方だ。

邦題は「デッドコースター」と前作の続編である事を伏せるようなタイトルだが、原題は「Final Destination 2」。なんでこんな邦題になったかは不明だが、日本では前作があまりヒットしなかったので、「2」が付くと、どうしても新規のファンを獲得し辛くなると考えたのではないかと思われる。

やはりこの人が出ると、映画が締まる

 

基本的な設定は前作を踏襲し、前作の180便の事故が物語に深くかかわっているが、それにより前作の“死を免れた人間”によって、他にも“死を免れた人間”が存在したという新たな視点が加わり、死の連鎖は永遠に続くという見方もできる。もっとも、その後にそうした方向に物語が行くことはないが。

前作の生存者アレックスとクレアのうち、登場するのはクレアのみ。だいたい前作の生存者は次で殺されることが多いが、アレックスは劇中台詞で「死んだ」とされるほど扱いが酷い。これは演じたデヴォン・サワと制作側がギャラでもめたともいわれているが、詳細は不明。

なお、シリーズの顔と言っていい、謎めいた葬儀屋を演じたトニー・トッドも続投している。

映画の冒頭で180便の事故から、1年後であることが明かされる。これが結構重要で、本作の登場人物たちは前作の180便と何らかの関係があり、結果として死ななかったものばかりということになっている。何で1年間も生き延びられたのかは不明だし、死の運命から避けられないのなら1年も伸ばす必要はないし、クレアももっと早く殺せたはずだ。そして死から逃れられるのなら、クレアが本作で死んだ意味はない。

主人公のキンバリーは友人達と海に遊びに行くため、車を運転していたが、途中でこれから乗る高速道路で大規模な玉突き事故が発生し、自分達を含めた大勢の人間が死亡する白昼夢を見る。 夢から醒めたキンバリーは、高速の入り口を車で塞ぎほかの車が巻き込まれないようにする。当然ながら、他の車からはクラクションの嵐。そこに現れた警官のトーマスは対処しようとするが、目の前でキンバリーが言う通りの大事故が発生。不幸にも同乗していた友人達を始め多くの死亡者が出たが、キンバリーを始め他の8人も事故に巻き込まれる事なく生き残った。

このシーンで「死ぬ運命だった者」が生き残ったが、その結果「死なないはずの者」が死んだことになる。前作は飛行機事故だから、そんなパラドックスは発生しなかったが、その「死なないはずの者」が死んだことによる影響について、本作は全く触れていない。それも本作の欠点だろう。

絶対こんな殺され方したくない

 

 警察署で事情を聞かれる中、キンバリーは1年前に起きた180便の事故と似ている事に気が付くが、他の者たちの反応はイマイチ芳しくない。しかし、死神の魔の手は生き残った者達にも忍び寄り、まずエヴァンが殺される。クレアは精神病院に入院しているという、180便唯一の生存者のクレアに助けを求める。最初は断ったものの、勇気を奮い起こして運命に立ち向かう決心をする。

粗筋を読んで分かるかもしれないが、本作では中盤までは実質的にクレアが主人公とで、キンバリーが映画の中心居座るのはクレアが退場して以降となる。その為か、ストーリーの腰が定まっていないような印象を受ける。

それと本作には、中盤あたりまであまり人が死なないという、物語の構成に難点がある。欠点とまでは言えないものの、死ぬと見せかけて肩透かしということが結構繰り返されるが、派手な殺人ショーを期待して見に来た人は肩透かしを食らうかもしれない。この映画は、一言で言えば殺人ショーで、登場人物たちが凝った方法で死に至るかを楽しむ映画だ。いかに派手に、そして驚くような方法で人を殺すかということが求められる。ただ、2作目にして早くもネタ切れ感を感じてしまう。

それに大人の事情があるとはいえ、前作の生存者のうちアレックスを文字通り“ナレ死”させるなど勿体ないとしか言えない。そのくせクレアを後半辺りで他のキャラとまとめて殺すのも、かなり勿体ない使い方だ。どうせなら最後まで生き残って、誰かを生かすために死ぬような役を与えるべきだと思う。