MEMORY メモリー(2022年)監督 マーティン・キャンベル 主演 リーアム・ニーソン(アメリカ)

ベルギーの作家ジェフ・ヒーラールツの小説「De Zaak Alzheimer」を原作とし、同小説を映画化した2003年のベルギー映画「ザ・ヒットマン」のリメイク作品。アルツハイマー病で記憶を失っていくベテラン殺し屋が最後の仕事に挑む姿を描く、リーアム・ニーソン主演のアクション映画、となっているが本作で“アクション”を期待すると、少々肩透かしを食らうかもしれない。
リーアム・ニーソンもすでに70歳で、「96時間」等の頃に比べると、さすがにアクションをやるのはきつくなってきているのかもしれないが、もともと彼は演技派俳優として名を成しただけに確かな演技力を持っているうえに、現在では深みを増したいぶし銀の魅力が加わっているし、本作でもその魅力をいかんなく発揮している。

年齢を重ね渋さを増したリーアム・ニーソン


リーアム・ニーソンが演じるのは名うての殺し屋、アレックス。かなり高齢だが、その手腕は衰えていない。この手の映画のお約束通り、あいさつ代わりの最初の殺しから始まる本作。鮮やかに対象を抹殺する。それも病気で入院している本人の母親の前で。あの母親、残りの人生はこの事のフラッシュバックに悩まされることになるだろう。仕事を終え引き上げようとすると、車のキーの所在が分からなくなり焦る。何とか思い出すがこの時自分がアルツハイマーを発症していることを自覚する。
その頃FBI捜査官のヴィンセントは、大規模な人身売買組織の潜入捜査中に、アクシデントから対象を死なせてしまう。不可抗力だったが、その事から孤児となった13歳のベアトリスに同情して、証人保護を適用グループホームに入れるようにする。
殺し屋の元締めマウリシオに引退を告げるが、新たな2件の仕事を押し付ける。難色を示すと断れば、唯一の肉親の兄に危害が及ぶと脅され、渋々引き受ける事にする。

ターゲットが子供だったことから、すべてが狂いだす。アレックスにとっても、依頼者にとっても


故郷のエルパソに戻ったアレックスは、最初のターゲット、ヴァン・キャンプを殺害しUSBメモリーを奪う事に成功する。その後、第2のターゲットに向かうがそれがベアトリスだった。しかし非情な彼だったが「子供は絶対に殺さない」というセオリーを持っていたことから、依頼人のボーデンに契約の破棄を通告して、彼女に手を出さないようにするため、入手したUSBメモリーを確保する。しかしその願いも空しく彼女はマウリシオに殺されてしまい、彼はそのままアレックスを襲い一夜を共にした女性は、巻き添えを食らい殺されてしまう。
辛うじて逃れたアレックスはマウリシオを殺すと、依頼人のボーデンを始末。USBメモリーから事件の黒幕は、資産家のダヴィナ・シールマンとその息子のランディであることが判明。復讐のため二人を付け狙う。
その頃、ヴィンセントと相棒のリンダ、そしてメキシコ警察のウーゴはベアトリスの一件と、ボーデン殺しが関連していることに気付きつつあったが、そんな時ヴィンセントの元にアレックスから電話が入り、黒幕がダヴィナとランディであることが告げられる。そして挑発するような言葉も。相手の地位の高さからあまり乗り気でない上司を、何とかなだめて捜査を行い、アレックスがランディを殺そうとしていることを突き止め、乱痴気パーティーを繰り広げているランディの元に急行するが既にアレックスは潜入。彼を殺しその場から立ち去ってしまう。その時アレックスとヴィンセントは対峙し、ベアトリスの復讐をしていることを告げ、両者の心が通い始めるがそこにウーゴが駆けつけ、逃げるアレックスに発砲し重傷を負わせてしまう。

還暦間近とは思えないほど色っぽいモニカ・ペルッチ


ウーゴはメキシコ警察の警官で、当然だがアメリカで捜査権はない。そんな彼が銃を携帯し発砲するのは違法とは思うが、特に逮捕されるようなこともなくその後も二人に同行している。
隠れ家に戻る途中でアルツハイマーの症状から、職質をした警官を殺してしまい、症状の悪化から次第に正気を維持することが難しくなり、一気に勝負をかけようとダヴィナを自宅を襲撃するが、そこは警察が警護していた。果たしてアレックスは目的を果たすことができるのか?というのがだいたいの粗筋。
本作は、非情で冷徹な殺し屋のアレックスが、ベアトリスにこだわる理由が明らかにされていないのが問題。確かに彼は「子供は殺さない」というルールを持って、これまでも守って来ただろうが、これまでも彼が断った子殺し他の殺し屋がやったことはあるはずで、その時は特に気に留めていなかったはずだ。
例えば「初恋の女の子に似ている」とか、「先だった兄の娘とそっくり」とか特別な理由がないのに、危険を冒しなぜベアトリスの復讐をするのだろうか?アルツハイマーを発症し余命も幾ばくも無いから、最後に一つ良い事をしようとしたのか?どうも理由付けとしては弱い気がする。


それに、FBIの上司はキャンプの妻と親交がある様子だし、地元警察の刑事もダヴィナと親しい様子で、何やら癒着を感じさせるが、本編では明確に描かれていない事から、もやもやした印象が残る。
それより最大の問題はラスト。あのラストは、ヒスパニックとインド系というマイノリティーにそれを実行させることで「マイノリティーを守るためなら殺人も許される」という、テロを容認しているとも取れる。それって突き詰めれば、強者の理論とも結びつけられるはずだが、その事に制作側は気付いている様子はない。
ただ、映画そのものは味わい深いものがある。例えばアレックスが、忘れないように自分の腕にメモしているところは、ガイ・ピアースが出演した「メメント」を彷彿とさせるし、バーで隣の女性が注文したのが007の定番のウォッカ・マティーニ。マーティン・キャンベルの代表作に「ゴールデンアイ」と「カジノロワイヤル」があるし、リーアムもかつてジェームズ・ボンド役の候補に挙がったこともあるので、こうした遊び心はなかなか楽しい。5/19時点でアメリカの映画批評サイトRotten Tomatoesだと、批評家は29%に対し、観客は81%が支持と、昨今の例にもれず対照的な評価となっている。これも批評家は上段部分を問題視し、観客は下段部分で楽しんだからだと思う。


最初は演技派としてキャリアを重ね、ベテランの域に差し掛かりアクション俳優へと転身に成功。そしてお年を召したことから再び演技派へ戻ろうとしているのかもしれないし、実際彼には優れた演技力があるから、これから重厚で渋い活躍が見られるのならそれはそれで楽しみだ。
その一方で、まだまだアクションを頑張って欲しいという気もしている。何せ、あのハリソン・フォードは御年80歳でインディー・ジョーンズに出ているのだから。