郷愁のミッキーマウス | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…


テーマ:
私のブログが所属しているアメブロに「郷愁のイラストレーション」というブログがある。

私はそのブログの読者登録をしているので、更新されると連絡がある。

本日の記事は、
「80年前の、お菓子の作り方百種」
http://ameblo.jp/retro-illustration/entry-11258201468.html

主婦之友、昭和7年(1932年)3月号の付録から引用されたもの。



「郷愁のイラストレーション」の読者になったきっかけは、以前、私のブログにコメントをいただいたかペタをいただいたこと。それをきっかけに、私が最初に読ませていただいたのが、たしかこれだった。

http://ameblo.jp/retro-illustration/entry-11211004974.html
2012年04月02日(月)
アメリカのいぢわる もしも日米戦争がはじまったら。

少年倶楽部 昭和16年(1941年)4月号の記事だ。

この記事の詳細は、ここ
http://ameblo.jp/retro-illustration/entry-10996942779.html


その内容にとても驚いた。

真珠湾攻撃が実行されるのが昭和16年12月だから、その半年少し前に出版されたもの。当然、まだ太平洋戦争は始まっていない。そして、当時は誰も、太平洋戦争が本当に始まるか否かはわかっていなかった。

とても興味深い内容で、日本人必読の内容になっていると言って過言ではないと思う。


ただし、「郷愁のイラストレーション」全体の基調はそのようなものではなく、そのタイトルどおり、郷愁をそそる古いイラストレーションを様々な切り口で紹介してくれている。

その雰囲気がよくわかるのは、ここ
郷愁倶楽部閲覧室
http://ameblo.jp/retro-illustration/theme-10036066867.html

私が生まれるよりずっと前のイラスト群であるが、郷愁をそそられながら楽しく読ませてもらっている。


さて、本日の記事の中で特に興味深かったのが、サクマ式ドロップスの宣伝のイラストだ。

明らかにミッキーマウスが使われている。

ディズニーからライセンスを得たものではたぶんないだろう。昔(1932年当時)の著作権に対する意識は日本でもそんなものだったということなんだと思う。1970年に施行された現著作権法以前の、いわゆる旧著作権法の時代だ。


ミッキーマウスについては、このWikipediaのページがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%82%B9

ミッキーマウスは、1928年生まれだということだから、上の主婦の友の宣伝はそれからわずか4年後に出版されたものということになる。

アメリカでミッキーマウスが誕生して4年後に、当時の日本でミッキーマウスのイメージを使うということは、どんな雰囲気を醸し出すことになっていたのだろうか?


そのWikipediaのページの「作成まで」の項目もなかなか面白かった。

<引用始>
>ウォルト・ディズニーはカンザスシティ都市圏に置いていたスタジオが破産し、ヒットアニメ『フィリックス・ザ・キャット』を模造したキャラクター「ジュリアス・ザ・キャット」を用いた実写合成の短編『アリス・コメディース』を作成していた。『フィリックス・ザ・キャット』の作成者パット・サリバンによる抗議を受け、1927年ミンツは『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』への制作変更をディズニーへ指示する。ミンツがユニヴァーサルでの配給に成功し製作費の値上げをディズニーが求めた。翌1928年3月に交渉が決裂しディズニーは契約更新を拒否されディズニー、アブ・アイワークス、ウィルフレッド・ジャクソンは『オズワルド』の製作を継続しながら別作品の企画をすることを余儀なくされた。
 (中略)
>ディズニーは主としてプロデューサーでありアニメーターではなく、「ディズニーは飼いならしたネズミをよく研究し、彼が醜いと思っていた耳・口・足などを大きくしポイントを付け1927年にミッキーマウスを考案した」という一般的な伝説は架空の話である。アブ・アイワークスはミッキーを奪ったとしだいに共同経営者のディズニーを憎むようになり、ディズニーと決別し自身のスタジオを持つに至る。
<引用終>

なかなかシビアなビジネスを当時のディズニーはやっていたことがよくわかる。
また、興味深いことに、ディズニーも最初はパクっていたのだ(笑)。


以前、「社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった」という本を読んだことがある。よく売れた本だが、私は物足らなかった。
たぶん、物足らなかった理由の主たる部分は、ディズニーのいいところばかりを著者はみており、それでは「社会人として不完全」と思えたからだろうと思う。

私は、ディズニーの偉業を肯定する者ではあるが、無条件に賞賛することには与しない。ディズニーの業績のよい面、悪い面をともに観て学びたいものだと思っている。

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