「自然との共生」というウソ、という本 | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…


テーマ:

「自然との共生」というウソ (祥伝社新書152)
高橋 敬一 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%85%B1%E7%94%9F%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%82%A6%E3%82%BD-%E7%A5%A5%E4%BC%9D%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8152-%E9%AB%98%E6%A9%8B-%E6%95%AC%E4%B8%80/dp/4396111525



「自然環境を大切にするために里山を守る」「人が入らないから山が荒れる」というような理屈が通るのがおかしいとずっと思っておりましたが、その思いをスッキリとさせてくれたのがこの本。

他の本を探しているときに偶然目に入って買ったのですが、実はここ
 昆虫にとって自然環境とは何か?
  http://blogs.yahoo.co.jp/yoshikunpat/51367460.html
   2007/9/16(日)
で紹介した
「昆虫にとってコンビニとは何か?」
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/402259912X/249-8767502-5753141?SubscriptionId=0C760DFJTH2FN8YG3CR2
の著者の本でした。




Amazonの内容紹介は、次のようになっています…

>チェルノブイリ、ビキニ環礁、原発事故や水爆実験が行われた土地だ。さらに栃木県の南部に広がる渡良瀬遊水地、ここは足尾銅山の鉱毒を埋めたところだ。この3か所に共通するのは、その事故や実験が行われる前よりもいまや、信じがたいほどの多種多様な生き物の住処となっていることだ。その理由はただ一つ。「ここには、もはや人間が住んでいない」ということだ。
>人の手を加えた「自然」を本来の自然と錯覚し、声高に「共生」を叫ぶ。本書は「自然との共生」とは何か、「地球温暖化」「エコ」「種の保存」とは何かを本質から問うものである。



その他、つらつらと本書から引用してみると…

>里山はいまや「自然との共生」の主要舞台となっている。しかしそもそも里山とは、手つかずの自然が人間によって破壊され尽くしたなれの果ての場所である。(P19)

>手入れの行き届いた雑木林と田畑などで構成される里山は年輩の人々にとっての原風景である。里山保全などするなと言っているわけではない。やりたければどんどんやればいいのだ。ただそれは個人的な郷愁に基づく行動にすぎないことを常に忘れないでいたい。(P32)

>保護活動をやるなと言っているわけではない。もし誰かの援助を頼みたければ、「これは私の郷愁に基づくものなのですが、それでも賛同していただける方はご支援をお願いします」と言うべきなのだ。(P40 )

>「自然との共生」にあっても、活動家たちは自分たちがきわめて限られた独自の認識様式(種特有の本能的なものと、個体ごとに異なる学習にまつわるもの)に縛られていることにまったく気がつかないまま、自分の価値観をスタンダードとしてすべての生物と人間とに押し付けようとする場合が多い。(P68)

>外来種の増加とともに、外来種は悪者という評価が広く定まってきた。しかしよく考えてみれば、日本という地域にとってはイネも外来種である。イネだけではない。トマト、ナス、ジャガイモ、トウモロコシ、イチゴ、キウイなど、様々な野菜や果樹、数多くのペット、ウシ、ウマ、ニワトリなどの家畜も外来種だ。日本人自体、生物学的にみればごくごく最近になって日本列島にやってきた、生態系の最大の破壊者としての外来種である。(P100)

>よくいわれる「自分にできることから」とは、繁殖、長寿、生活向上などの(自分にとっての)最重要案件には手を触れずに、「エコ」バッジをつけるくらいで自分自身に免罪符を与えてしまうことに他ならない。それは結局、「やれないこと、やりたくないことはしないでもいいし、するつもりもない」と表明するのと同じことである。(P178)

>人々は、あたかも人類の未来を救うかのような理由を並べ立てては、自分と自分の遺伝子、そしてそれらを維持してきた自分に親しかったものだけは守ろうとやっきになり始めた。「自然との共生」もそうした動きのひとつである。
>だが人類の未来を守ると称される運動の中でわざと触れられることなく放置されている、本当に解決しなければならない問題は、人間の定員超過であり、長寿命化であり、経済発展への終わることのない渇望だ。そしてそれらは本能が欲する基本的なものであるために、私たちはそれらの欲望に逆らうことが生物学的に禁じられている。(P184)




この本を締めくくる「あとがき」には、次のようにありました。

>郷愁(あるいは道徳や正義)はかつて集団の主要な維持機構であった。しかし進行するグローバリゼーションの中、郷愁で行動することが時に致命的な結果をもたらすことも多くなってきている。注意しなくてはならないのは目の前にある受け入れがたい現実ではなく、心の奥底に巣くう私たち自身の本能的郷愁の方なのだ。

>本書の中でも述べたように、「共生」とは郷愁の命じるままに新しい時代を古い時代へと引き戻すことではなく、むしろ親しいものを永遠に失うことの痛みに耐えながら、得体の知れない新しいものを受け入れていくことだ。たとえ古いものであっても、新しい時代に必要ならば生き残るし、そうでなければどんなに莫大な労力を払ったところでやがては消え去っていくしかない。



私は、大変深く納得いたしました。

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