新しいきもち | よしだよしこ here now

新しいきもち

 

木の芽、眺めていると、焦らなくてもいいよと言ってもらってるようで安心します。

                    師走のサクラ

 

◆12月1日松本マイシャトーにて。

昨年亡くなった友人であり大切な音楽仲間のやなぎ君を悼む会はこれまでも各地で行われてきました。信州松本では昨年の夏にも、まだまだ生々しい思いを持ち寄って縁のあった人たちが集い唄いました。

生前、彼が足しげく通った店マイシャトーのおけいさんが今年に入り体調を悪くして、その慰労の想いもあり、今回は辻井貴子さんが誘ってくれました。

想像していたよりもずっと元気そうなおけいさんと、マイシャトーの常連の人たちと、貴子さんと私。手作りのご馳走は食べ放題。12月生まれの貴子さんと、おまけに私にもお祝いの立派な手作りケーキやプレゼントが用意されました。

本番では、貴子&よしこのデュエットを始めようとしたら、私のギターストラップが外れて危うくギターを落としそうに!やなぎ君も仲間に入りたかったのでしょうか、悪戯しにやってきたようです。去年のステージには蛾になって登場しました。急に冷え込んだ信州の夜、、この世とあの世の隔てなく温かな笑顔と笑い声と、歌が、溢れました。

 

◆12月2日阿智村清内路にて。

旧清内路中学校に、各地から楽器を積んで車が集まります。長野、岐阜、石川、岡山、鳥取、神奈川。。。。。

7組、各20分ほどの持ち時間はあっという間ですが、それは濃密な内容でした。それぞれの土地、地域に根差して生活の中から生まれた歌を創り唄う人たち。続けていくエネルギーと覚悟を感じます。そのためには家族のような仲間が必要なのだと思います。決してなれ合いではない、創造する人たちの絆です。

貴子さんと私は昨夜もうたった「きみのともだち」を演りました。これはキャロルキングの名曲You’ve got a friendの貴子さんの歌詞バージョンですが、しみじみと良い歌だと思います。それから、二人のダルシマーアンサンブルのなかで、「むすんでひらいて」のメロディーがあるのですが、それを聴いていた尾崎清子さんが、なにげなく「みんなで、むすんでひらいて、やったらいいねぇ」の一言に、この場には保育士さんが沢山いたことに気づき、誰もが知っているお遊戯を会場全体でやることができました。私のような歌い手一人で音頭をとってもこんな和やかにはいかなかったでしょう、、、柔らかな笑顔の先生たちに誘われて、元中学校のホールでみんなで幼児になりました。

 

ライブが終わり、大急ぎで後片付けをして昼神温泉へ。夜の大忘年会の会場に移動です。

良いお湯の温泉に浸かって、心許せる人たちと食べて飲んで語って、唄って。

私はめずらしく唄の途中、涙が溢れてきて止めることができなくなりました。昔つくった母親への歌。。。心がほぐれていくのをゆっくり感じます。

おおらかな心豊かな家族のようなひとたちと過ごすしあわせ。すっかり安心に抱かれて。

 

唄ってきてよかったな。。。

貴ちゃんの車だったから持って帰ることのできた長野での

頂き物、半分はご近所に、半分は干し白菜。

 

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◆12月10日横浜サムズアップにて。

元来、自分の誕生日とか、なにかの記念とか、あまり大袈裟にやるのが苦手です。それでも、唄いだして何年目というのに拘るのは、多分、私がほぼ50歳から活動を始めたというタイミングの遅さが、気持ちを駆り立てたのだと思います。

20年唄ったからもうすぐ70歳になってしまいます。

 

沢山のお客さんと沢山のゲストと共に数時間を過ごすだけですが、心の準備にはずいぶんと時間がかかりました。

最初は雲をつかむようで、どこから何を始めたらよいのか。

まずは、手紙を書いたり、会いに出かけたり。20年間変わらぬやり方。

ゲストたちのスケジュールを聴きながら、最終的に決まった11組のひとたちと電話で話したり、会いに行ったり、ギターを担いで練習をしに行ったり。それは、高校時代に友達の家で、ああでもないこうでもないと手探りの音楽をやっていた時のように楽しいものでした。

もちろん忙しい人たちの中にはぶっつけ本番もあるから、ひっそりと一人部屋で、デュエットの練習を何度も何度も練習するのも楽しい時間でした。

これらは、私の音楽のスタイルの根本に通じることです。普段は一人で唄う私ですが、誰かと一緒に唄うときは、まさにその人と一対一の対話をするような思いなのです。

何度も何度も一人で練習しながら、相手のことが少しだけわかってくるのです。それは、私だけが感じたその人の音楽です。

 

おかげさまで、客席は満員御礼130人ほどの方々が、関東各地、遠くは青森、新潟、福島、長野、山梨、愛知、静岡、大阪などなどから。

無事故でありますように、来てくださった方々が笑顔で楽しんでくれますよう、瞬間でも心がなごみ、希望が湧いてきますように、、、、。客席に向かっても、やっぱり私は一対一でいたいとずっと思ってきました。歌が終わればなかなか無理なことだけれど、唄っているその瞬間だけは、一人一人の心に届きますようにと唄っているのだから。

 

ゲスト出演順 敬称略

●生田敬太郎

 ⦿here comes the sun~この歌からゲストコーナーが始まってよかった!敬太郎さんと一緒に唄うナンバーの中でも、晴れ晴れと希望溢れる歌です。

 ⦿この素晴らしき世界~ギブソン160Eで唄う敬太郎さんの横で聴きました。お気に入りのギターでご機嫌な様子で弾き語るwhat a wonderfull world は素晴らしかったです。私の大切な先輩。

敬太郎さんには、この日、沢山登場してもらいました。そのどの曲も、丁寧な譜面を書いて臨んでくれました。

私は敬太郎さんの手書きの譜面、しかも写譜ペン!これを大事に保存しているのです。譜面に弱い私は、敬太郎さんの譜面をお手本にしています。あんな風には一生かかっても書けないでしょうけれど。

 

●いとうたかお

名古屋からやってきてくれました。前回15年の時に送ってくれた手紙を20年用にして読んでくれました。

手紙の中で書いてくれたことと同じように、私も、お互いの考えを尊重しながら自分の想いを話せる大切なともだちだと思っています。

10数年前、そのきっかけをつくってくれたのは、ある時にかけてきた電話。彼の私に対する透徹したいくつかの言葉でした。

それまでぎくしゃくしていたものが彼の勇気のある言葉でほどけていった、そういう出来事があったのです。詳しくはここでは書きませんがその長電話に今もこれからもずっと感謝します。

勇気というものを教えてくれた出来事です。

 

⦿トンネルの唄

⦿Love Letter

 

●いなのとひら・のとこば

⦿みんなの唄~いなのとひら・のとこばのテーマ

みんなの唄を全編唄うのは長すぎると、稲野君が短いバージョンにしてくれて、私は歌のサビの部分の手話を、YouTubeで見ながら練習しました。

彼らの歌のテーマは難しくなく、難しい部分はすべて楽器でやってしまいます。楽器や歌に長けた人たちで、心優しいひとたちです。

この日のゲストのなかでも初めて聴く人もあったし、お客さんの半分くらいはそうだったはずで、何人もからみんなの唄が良かったメールが届きました。

 

●井上智資

⦿ある雨の日の情景

井上君は吉田拓郎の歌のレパートリーをたくさん持っています。私は一度も行ったことがなく申し訳ないのですが、拓郎だけを唄うコンサートもやり続けています。

「ある雨の日の情景」は52年前に、私が初めてレコーディング体験した曲でした。普段は忘れているけれど、あるとき井上君と話しながら、そういえば、ピピ&コットでデビュー寸前に録音中の拓郎さんのスタジオでコーラスをしたのだったと思いだしました。デビュー前の歌手を名前を売るために使うというレコード会社の作戦でもあったのでしょうが、、スタジオで拓郎さん本人には会えませんでした。ですから記憶の薄弱な出来事。

ともあれ、今回は、この1分半弱の超短い曲に渾身のギターとヴォーカルで、あっぱれの井上君でした。私のコーラスもなんとかやれたかな。

 

●髙部久理子

山梨から詩人の久理子さんが来てくれました。

ステージに呼び込んで、彼女の横で「卵焼き」を唄いました。

昨年、ロシアとウクライナの戦争が始まってすぐに、生まれたこの詩、私はどれだけ助けてもらったでしょうか!

そして、この詩を歌にしようと詩とギターと過ごした時間のこと、、、久理子さんと魂の交感をしている時間、、、それ自体が平和を祈る行為だと思いました。

ステージに久理子さんに立っていてもらって唄うのは、彼女には手持無沙汰であったかもしれませんが、きっと黙って立っていても存在が語りかけていたと思っています。

 

●広瀬波子

⦿高野君の焼き鳥屋

波子さんとはこの数年、年に数回一緒にステージをします。

サックスと笛。彼女のアイリッシュホイッスルが私の曲によく合うので笛の登場が多いのですが、サックスという楽器は、人の感情を伝える、吹く人ごとに違う音色の楽器。

二度と同じことはしないスリルを一緒に共有する対話の時間。この歌も今まで何度一緒に演ったでしょうか!

毎回新鮮な気持ちにさせてくれる音をありがとう!

この後、二部では彼女と

「パンの代わりになるものなんかない」、「パンを焼く日」「ばかのうた」「Deportee」など、、どれも今までで一番素敵に感じました。だから、これからももっと素敵になることでしょう!

波ちゃんの音色が益々輝きますように!

 

●いわさききょうこ

⦿崩れ落ちるものを感じるかい?

リハーサル無し、全くのぶっつけ本番。私は本番で彼女がステージに上がってくるまで顔すら合わせていませんでした。ステージ上で手渡された小さなプレゼント、後で開けると手作りのカードが小さなペンダントと一緒に入っていました。

多忙な中で、そういうことをしてくれる真心に感謝です。見習いたいことが沢山あります。

ぶっつけの崩れ落ちるものを感じるかい?の良くとおるヴォーカル、ばっちりでした。MAJI君のラップスティールギターと敬太郎さんのハーモニカ。この歌を20年唄っていますが、これはゴージャス!

きょうこちゃんには、結局ステージ以外では会わずじまいになってしまいました。風のようにやってきてあの声で唄い、また風のように去っていきました。

 

●金谷あつし

最初は、舞台監督やってよと頼んだのですが、大変そうだし、じゃあお客で行きますと言ってくれていたのだけれど、、

本番1週間前に「やっぱり金谷君もうたってよ」

「え~!いいよ」

「いや、やろう!」

ということになりました。

不思議ですが、金谷君とのハーモニーはたとえ眠っていてもハモれるのです。

⦿たった一人の友達

これは、ケメ佐藤公彦の名曲です。登場するたった一人の友達は、部分的に金谷君をモデルにしているのかなと感じてきました。今はケメのいないステージで、私のハーモニーと、敬太郎さんのハーモニカ。

金谷君、ありがとう。飲みすぎに注意して、お店も大変でしょうが、頑張ってね。お互いに励ましあいながら。

 

●大野えり

⦿River

選曲はぎりぎりまで考えました。

えりちゃんとは畑違い、彼女は主に英語でジャズを唄う人。

最初は私の曲を日本語で静かにやってみようとしましたが、、ピンと来なくて、、お互いが知っていて、それぞれのノリで唄えるうた、

えりちゃんが提案したのはjoni mitchellのriver.

人前でピアノの弾き語りはこの日初めてというえりちゃん、柄になく緊張していて、私がその横でギターで唄います。とても新鮮な時間。

40年来の友達で、公より私での関わりの方が多いかもしれません。お互いに子育てで無我夢中の時代も知っています。声のことを相談できる大切な先生でもあります。

そしてそれと同じように、社会のこと世界のこと、忌憚なく話し合える友達です。

「アウェイだわ」と言いながらも、出演者の歌をずっと聴きながら、そして、初めてのピアノを披露してくれた心意気、友情に感謝します。

 

●斉藤哲夫

⦿斜陽

⦿もうひとつの世界

11月の初め、夏日の陽気に赤羽駅で待ち合わせた哲夫さんも私も半袖Tシャツ。哲夫さん宅におしかけて候補曲を決めました。たったそれだけのことなので、電話やメールでも済むことだけれど、やっぱり顔を見て一緒にギターを弾いて、世間話のひとつもして、、良かったのでした。

もう一つの世界という曲は瀬戸口修さんのつくった名曲で、ほかにも唄っている人がいますが、それぞれに良いのです。歌に込める思いが、唄う人の数だけ感じることができます。この曲にハーモニーをつけられることがとても嬉しかった。

もうひとつ、哲夫さんがこの夜は最後まで一緒にいてくれたことも嬉しかったです。18年前。フォークジャンボリーしよう!といってたくさんのフォークシンガーとともにツアーをしたこと。そこに私も誘ってもらえたこと、それは大きく世界が開けたきっかけとなりました。

またやりたいです、ジャンボリー!

 

●宮尾節子

近年、この人との出会いに支えてもらいました。

出来上がった詩に曲をつけて唄う、、、ということを何度もやってきました。宮尾さんの詩は9編も!特別多いのです。

その人の魂が乗り移るのでは、、、というほど何度も何度も繰り返し唄いながら作ることもありますが、宮尾さんの詩には、最初からメロディーが宿っているのでは?と感じることがありました。

節子さんはステージで、一枚の紙とペンがあればという話をしてくれました。青森のねぶたを見たい、踊りたいと思いついた若き日の宮尾さんが、紙に「青森」と書いてヒッチハイクでたどり着きねぶたで踊った話。

言葉をつくる者、歌をつくる同士、書き続けなくては!と励まされました。

宮尾節子本人の朗読を皆さんに聴いてもらえてうれしかったです。こうして体を使う詩人が好きです!

 

●サスケ

サスケのことをかっちゃんと呼びます。10年前まではサスケは双子のデュオで、兄のかっちゃん、弟のたかちゃんでした。タカちゃんが亡くなってしばらくは、みていられないくらい落ち込んでいて、もうきっと歌わないかもしれないと思いました。それでも立ち上がって今のサスケがあります。

何かと相談をしたりする相手でもあります。相談というよりも自分の決めた道を確認するために声を聴く相手、、、といったところです。見えないところで支えてくれる友達です。

⦿ばかのうた

一瞬の出番でしたが、この日は早くから来てくれて、楽屋をのぞいたり気を使ってくれました。そして皆が帰ってしまった楽屋にも最後までいてくれました。

 

●中川五郎

⦿パリャヌィツャ

⦿ミサオおばあちゃんの笹餅

五郎さんという存在がなければ、真っすぐに歩いてこなかったでしょう、、、歌の道。

私の知っている中川五郎さんは50年以上前の、受験生ブルースや、フォークリポート事件、、、それから、私が唄わなくなってからは、好きで買うレコードやCDの訳詞やライナーノーツで見る中川五郎という名前。五郎さんから教えてもらった音楽で私はいっぱいです。

それから近年、同じようなコンサートやイベントで一緒になることが多く、また新しい五郎さんをたくさん聴くことができました。3.11以後の東北への旅、そこでは寝食を共にしながら、毎回飛び上がる姿をみました。毎回が新鮮でした。新鮮の大切さをどれだけ五郎さんから教えてもらったでしょう。

今夜も、パリャヌィツャを一緒に唄いながら、今日の言葉で唄うことを教えてもらいます。

ミサオおばあちゃんのように、生涯現役、五郎さんのように生涯青年で!

 

●なぎら健壱

⦿ランブリンボーイ

⦿愛の絆

なぎらさんと一緒に唄うのは、あったようななかったような。。。1976年日本青年館ホールでのライブコンサートでフィナーレの唄に参加しました。それが最初で最後だったのかもしれません。今思えば、そのコンサートに観客としていたのを誰か関係者が声をかけてくれてステージに上がったのだと思います。その時の曲がアメイジンググレイス愛の絆でした。

私はそれから一月後にはアメリカに渡りました。すべて中途半端に投げ出して。

 

ゲストにおねがいして、11月の終わり、東横線沿線の駅で待ち合わせて、選曲した2曲の音合わせをしました。

面と向かうとちょっと照れ臭いもので、ものの1時間ほどで解散。

そして当日本番のリハーサルは無しです。

なぎらさんの出番は開演から4時間半は経っていました。お客さんも疲れているでしょう、きっぱりとした歌声と私をネタにした昔話と、しっかりとしめてくれて、「愛の絆」ではまるでなぎら健壱ライブのフィナーレみたいでした。

時が流れても、これだけはけじめをつけておきたい、、、と思い続けている事柄は生きていればあるものだと思います。

私にとって、あの日本青年館ホールから後の自分の年表に

なぎらさんという証言者の存在が必要だったのかな。。。昔話を面白おかしくしてくれるなぎらさんの横で来し方抱きしめるような思いでダルシマー抱えて胸がいっぱいになりました。

 

いつも早々と帰ってしまう斉藤哲夫さんの提案で、全員写真を撮ろうということに。全員は入り切れなかったかもしれませんが、同じ場所で一日を過ごしてくれた人たちの写真です。

 

ラップスティールギターのMAJIくん、私のソロが時間で全曲唄えずに削ってしまいましたが、要所要所を支えてくれました。この次にはもっとたくさんお願いしますね。

ゲスト用のギター数種類、調整済みの良い楽器を舞台袖に用意してスタンバイしていてくれた鷲見君ありがとう。

それから、細々とした雑務、物販、ゲストのお守りなどなど、

陰で支えて,誰もいなくなった店の楽屋で最後まで一緒にいてくれた、みーさとまるちゃん、おかげで、孤独にもなることなく安心していられました。

大阪から、ゲスト用のお土産まで用意して飛行機でやってきてくれたママ、おつかれさま!

 

大きなトラブルもなく客席を仕切ってくれたサムズアップのスタッフの皆さん、ありがとう。

 

なによりも、足を運んで長時間を過ごしてくださったお一人お一人、またその場には来れなかったけれど、遠くから応援してくれていたお一人お一人、ありがとうございました!

どうか、お元気で!また会いましょう!良い音楽とともに!

あ~レポートも長すぎ!

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◆12月15日岡山笠岡カフェド萌にて。

少し湿ったあたたかな風の夜。

年に一度、19回目のカフェド萌。昨年はコロナ発症でこれなかったから、20年目の萌です。

この数年、必ず聴きに来てくれる人、いつも決まった席に座って、、寡黙だったけれど、会うごとに少しずつ話をするようになった人。体を悪くしていて、長い距離歩くときには酸素ボンベを携帯していた。そのYさんがつい10日ほど前に亡くなられたと、節子ママから教えてもらいました。

寂しい夜になりました。Yさんの気配する萌の部屋、あの世に行ってしまった人たちの写真も沢山飾ってある萌の店の壁、、、明かりが落ちて、唄いだすと、静かな夜が始まりました。

山陽本線の快速がなくなって、帰りの電車の数も少なくなったという。最後の曲あたりで、急いで帰られた人もいました。

いろいろな変化の中で、萌は写真の人たちと一緒に静かに歴史を刻んでいます。

 

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◆12月16日岡山禁酒會館にて。

前夜から岡山入りしていた、近藤さん、四家さんと、禁酒會館に行くと朝早くから会場の準備をしてくれるひとたち。

音響で一番大変なのはチャンネルをたくさん使うキーボードや何種類もの楽器をつかう近藤だいちゃんで、午前中のほとんどはそのセットで終わりました。サウンドチェックもだいちゃんがほとんど動き回るということになり、その仕事量に、本番前から頭が下がりっぱなしです。

 

禁酒會館ライブで出会った人たちに聴いてもらいたい音がありました。

弾き語りでゆっくり聴いてもらうことがいちばん私らしいと思っているけれど、これまでのCDの大半を一緒に作ってくれた近藤達郎という人を知ってもらいたかったし、四家卯大さんの美しいチェロの音色で心を癒してもらいたかったし、今まで聴きなれた私の歌の別の表情も味わってほしかったのです。それが長年支えてくれた岡山の皆さんへの想いでした。

ステージは稀代の音楽家二人にしっかりと支えてもらったおかげで

禁酒會館の部屋いっぱい歌で音で膨らんでいくのが見えるようでした。

そして、私たちの前に唄ってくれた、オザキユニットの選曲は私の好きな曲ばかり。鳥取鹿野の武部さんは私の持ち歌を、大山町の大森夫妻は初めて聴く家族の歌、付知の三尾夫妻の裏木曽は山の中は、私も参加。どれも聴いているだけで心の底から温かなものが溢れてきます。

近藤さん、四家さんの二人も一番後ろで、皆の歌を静かに聴いていてくれて、それもとても嬉しかったです。

ステージに向かった正面には、鉛筆画の私の顔、それも大きく拡大されて!朝入って見たときちょっと恥ずかしかったけれど、、真心に身をゆだねようと瞬間に思い直してからは、この長い一日のすべてのことが、今までとは違う心で受け止められるようになったのでした。

禁酒會館の床が心配になるほどの皆さん、遠くからも、そして初めての人も、ありがとうございます。

特に、朝から働いてくださった尾崎さんを中心に沢山の手のおかげがあります。こんな手作りのデコレーションケーキも!

 

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◆12月17日京都拾得にて。

岡山からだいちゃん号で移動です。

昨日とは打って変わって寒さが襲ってきました。途中雪がちらつきました。

15年の節目もここでさせてもらいました。5組のゲストに助けてもらって。。。

今回は、バンドの時間が欲しかったから、ゲストはマホロバシスターズのみに。マホロバシスターズのうたう「シズ子さんとあやこちゃん」を久しぶりに聴きました。ひろこさんのお母さんとかよさんのおかあさん、この二人が体験した太平洋戦争末期の空襲のときのこと。

5年前の同じ場所での映像がありました。

今回も何人もの友達から反響がありました。

 

 

拾得の自然な音響でトリオで演らせてもらえたこと、ありがたいことでした。

ちょっと残念だったのは、だいちゃんの提案で、最後の曲「平和に生きる権利」の前に四家さんのチェロでカザルスの編曲で知られるカタルーニャ民謡「鳥の歌」を弾いてもらうことにしていたのだけれど、、、店での演奏許容時間を過ぎてしまいそうで省いてしまったことでした。

このトリオでは、2024年3月31日東京下北沢レディジェーンにて再演します。

 

想えば、京都からはじめたツアー生活でした。20年、通い続けた店があります。そこで友達になった人たちが席を囲んでいました。

佐々木米市さんが、様々なライブを開いて、その縁で知り合った人たちがいました。

奈良、和歌山、名古屋からも、聴きに来てくれた人たちがありました。

「ヨイシラセ」のアルバムの中にコーラスで参加してくれた

bikkeもありがとう、嬉しかったです。

初めて拾得に来たのは、そう、、やっぱり1976年9月でした。E・アンダースンの初来日ツアーにくっついて。。。金沢から京都まで追っかけたのでした。。

遠い思い出、、、ちょっぴり苦い、、、それさえも、今を現在を誠実に生きてさえいれば、その過去さえも輝かせることができるのだから‼と自分に言い聞かせましょう‼

寒い寒い京都の夜。

 

 

   だいちゃんがサックスを吹いている!バンド風景

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◆12月21日四谷コントントンにて。

パギやんが誘ってくれました。

今からずいぶん前に、同じく年の瀬の「二人のビッグショー」に呼んでもらいました。二人というのはパギやんとピアニストの板橋文夫さんです。その時、私は生憎、頭にできた帯状疱疹で生きた心地もしない状態で唄ったのですが、唯一覚えているのが、板橋さんが、私の歌をじっと聴いていてくれたことです。

今回は、何か板橋さんとも一緒に、、、ということで、さてどうしたものか、、、

悩んだ挙句、本番直前に決めたのは、「ばかのうた」と「神様は」の二曲です。

ほんとうにドキドキでしたが、特に「神様は」は自分でもびっくりするような曲展開になり、歌そのものに羽が生えて自由に飛び回ってくれました。まるで神様の仕業のようです。

板橋さんは、今夜も、じっと私の歌を聴いていてくれました。

卵焼きの作り方に関して勝手にしゃべりだして止まりませんでした。それから、数日前に大野えりちゃんとのツアーでピアノが弾いている途中で壊れてしまった話も、、。

パギやんは、いつも気軽に私に声をかけてくれます。それが結果的にとても面白いものになったり、発展的なものになったり、いつもそのことに感謝をします。

パギやんの叩くパンソリ太鼓とともに唄う平和に生きる権利は皆に聴いてもらいたいと思いました。

 

◆12月22日冬至。

こんな夜は早く寝よう。柚子はないけれど、お風呂もゆっくり入ろう。新月、満月、立春、春分、夏至、秋分、冬至。。。太陽と月、宇宙のリズムを大きく感じる節季。

 

◆12月23日レインボータウンFMにて。

豊洲という町に初めて降り立ちました。築地から市場が移転した、、、それしか知らなかった町です。高層マンションが立ち並ぶ新しい町の様子です。

サスケのかっちゃんから誘ってもらい久米つとむさんの「風のでんわ」という番組に出演しました。

番組の途中で「風のでんわ」コーナーがあります。この日はかっちゃんが、亡くなった弟タカちゃんに電話をします。途中でかっちゃんが受話器を私に渡してくれました。目の前にいるのは双子の兄かっちゃんなのですが、受話器を持ってタカちゃん?というと、目の前のかっちゃんがタカちゃんになって話し始めるので、まるで、二人がのり移りあってしまったようなトランス状態になり、ゾクゾクっとしてしまいました。

つくづく、双子の不思議をみせてもらいました。

 

◆12月30日亀有kidboxにて。

前夜から人参、大根、里芋、かたちを揃えて切って、大鍋いっぱいの粕汁をつくりました。酒粕も大きなのを2袋。

重いのなんのって!頑張りました。

暮の30日、なんだか力の抜けた空気の電車の中、

隣に座った青年が話しかけてきました。

「バイオリンやってるんですか?」

「ギターです」(もう一つは粕汁の鍋だけど、、、)

「ギターですか、いいですね、ビートルズ好きです、レノン好きです」

「そうなんだ」

「、、、、、、、」  

日本語が流ちょうに話せない肌の浅黒い人だった。

それだけの会話だったけれど、先に降りる彼は丁寧にこう言いました。

「頑張ってください。良いお年を!」

どこの国の人だろう?これから街に出てだれかとあうのだろうか?

「ありがとう!あなたも良いお年を!」

年の瀬に、見ず知らずの者に話しかけてくれて、happy!のあいさつを交わしてくれて、ありがとう!泣きたい気持ちになりました。

kidboxの30日ライブも恒例になりました。この日だけは持ち寄りの食べ物で皆で楽しみます。やっぱり温かいものが良いだろう、、、と今年は粕汁になったのです。

世界一狭いライブ会場で唄い納めです。

 

今年も、こうして無事に唄い納めまでたどり着けたことに感謝します。

 

大晦日のこのくらいの時間、たまらなくいとおしい気持ちになります。

外に出てみると、近所の家々の団らんの気配、もうすぐ鐘が鳴りだします。

父の帰りを待ちわびて過ごした幼いころの大晦日の夜がよみがえります。祖母が茹でた蕎麦が伸びきってしまって、私は炬燵でうとうとしながら、、鐘が鳴りだしたころ、そおっと勝手口で音がします。なかなか帰れないわけがあったのでしょう。。。

 

悲しい思いの人、病に苦しむ人、辛く打ちのめされている人、孤独の中にいる人、、、、

住むところを追われる人、爆撃に追われる人、、、、、

自分の心に負けそうな人、、、、

 

祈るばかりの私ですが、新しい年も、歌を創り唄います。

 

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