厳しい診断が下された後も
主人は残り数回をリクライニングの車椅子で私と一緒に介護タクシー乗って
朝から放射線治療に通いました。
主人の様子は患者会の代表にも報告し
相談もしていました。
本当に今のままでいいのか、今入院している病院は呼吸器内科であり、がん専門の病院ではなく、緩和ケア病棟が併設されているがんセンターに予約して診察をしてもらった方が良いのではないか、本人とよく考えてみた方が良いのではないか、と言うアドバイスも頂きました。
緩和ケアと聞くと、もう救いなく、
穏やかにその時が来るまで痛みをなるべく和らげて1日1日を穏やかな気持ちで過ごすと言うイメージがありました。
もはや、主人はその段階に来てしまったのか、まだ適合する抗がん剤があるのではないだろうか、私たち夫婦はとても悩みました。
娘たちと一緒に主治医に
今の主人の現状をそして主治医はどうした方がいいのか、率直な考えを聞かせて頂きました。
『たとえ1%の望みしかなくても、患者が希望すれば、抗がん剤を止めない訳にはいきません』との見解に、私も主人も娘達も言葉を失いました。
患者会の代表には『緩和ケア病棟への違う病院からの転院は相当難しいから、望むなら一日も早い方が良い』と言われ、非常に酷な決断を主人にはさせてしまったかと、今でも思いますが、全て主人の意思を尊重するため、決断を待ちました。
このまま、毎回副作用に苦しみながらも、わずかなパーセントを期待して抗がん剤を受けていくか、いろんな苦痛を少しでも和らげて最期まで穏やかな意識のまま過ごすか、どちらかの選択を待ちました。
そして主人が出した選択は
『緩和ケア病棟』転院の希望でした。
早速主治医に伝えて、私は初診外来として『緩和ケア』の予約を取りました。
そして主治医に紹介状も書いて頂きました。
数日後、介護タクシーで、
緩和ケア病棟が併設されている
がんセンターに行って診察を
ひと通り受けた後、診察された先生が
この後、主治医となられたのですが、
『とても緊迫した状況なので、急いで入院の準備をしましょう。』と言われました。
いろんな書類を預かり会計の手続きをして
迎えの介護タクシーを待っている時に
館内を見学しました。
裏のベランダから遊歩道が出来ており車椅子を押して散策が出来そうでした。
『ホテルみたいだなぁ』と
主人はそんな言葉を呟いていました。
入院している病院に戻り、いつ転院の連絡が来ても良いように、主人の荷物をまとめ始めました。
だんだんと『その時』が近づいて来た、を感じました。