2008.3.22 奥の細道ジョギング 北越谷駅14:16~春日部駅16:03
33)14:49 越谷春日部バイパス交差 足の限界を超えてグダグダになりながら歩いています。足が痛くて痛くて北越谷駅からここまで2.5キロを30分で、しかも1枚も写真撮ってないし、かなりヤバかったですまあでもこの30キロ過ぎからの苦痛が長距離ジョギングの醍醐味なんです
34)15:02 せんげん台駅入口あたりで春日部市に突入やっと最終目的地の市に入って、なんとか帰りの目途がたってきて一安心と思い始めた頃でした
35)15:38 でもここからが遠くって、備後(南)、備後・・・ビンゴって楽しく考えられるわけでもなく、ひたすら前進します。緑町に入って、日本橋から34キロポストを撮る。だいたいこの距離ポストを撮りだすと末期です
36)15:44 東武野田線のガードをくぐってまもなくです。東武野田線は1911年に醤油を運ぶ鉄道として野田~柏間で開業。1923年に柏~船橋間が開通。1930年に大宮~野田間がつながって全線開通。路線総延長63キロですか船橋~柏、柏~大宮に分けて走るんだろうなぁ・・・一応、ご意見として伺って将来的な構想の中に入れさせていただきます・・・って丁重にお断りする時の言い回し
37)15:47 南北朝時代に新田義貞の家臣の春日部氏にちなんで「春日部」だったのが、「糟壁」になって、江戸時代に入って「粕壁」になって、1944年に「春日部」に戻ったみたいです。「糟」と「粕」の違いは・・・「かす(滓)」と同源、もろみから酒をしぼり取ったあと残る残渣・・・もう1個出てきたなんとなく、残留物の少ない方から滓<粕<糟っぽいけどね
38)15:48 ようやく35キロポスト発見で女子高入口を左に曲がる。女子高は90年の伝統ある県立春日部女子高校で通称「春女(かすじょ)KASUJO」「干物女」に対抗できそう。最終回9/15、結婚できるか
39)16:03 粕壁小のところでもう駅だと勘違いして陸橋の方に行ってしまって、線路際の細い道を半分迷子になりながら進んで、ようやく命からがら春日部駅に到達してゴール合計40.5キロの過酷なジョギングでした。
※このあとすぐに、そのままの格好で、浅草行き準急に飛び乗る。新越谷くらいで隅っこの席が空いたので座る。そのあと人が乗り込んでくるんだけど、隣には誰も座らない身を狭めてスペース空けても座らない
北千住で降りて、トイレの鏡を見たら、額が汗の塩まみれでとんでもない状態だった こんなおじさんが座ってたら絶対隣に座らないな、状態で・・・顔をきれいに拭いて地下鉄に乗り換え帰ったのでした反省しきり
40キロを走り抜き、自信を深めた(味を占めた)きむきむなのであった。これ以降、ほぼ毎週、芭蕉の跡を追う「奥の細道ジョギング」の快走が続くことになる