だいぶ長いので覚悟してお読みください。
バンドやり始めてまぁまぁ経つけど、最近キッカケってなんだったっけ?って思う事があった。
バンド始めたキッカケを語るにはまず楽器を、ベースという楽器を始めた所から語らねばなるまいよ。
時は遡って高校時代。
桜舞い散る季節、高校に入学したヨシキ少年。
中学からの馴染みもまぁまぁいたけど、やっぱ新しい人、物への出会いにドキワクしていたよ。
なんといっても高校の青春の1ページを彩るものは部活でしょうと。完全にこの頃のヨシキ少年は思っておりました。
そして実はヨシキ少年、小学校1年生から中学3年生まで生粋のサッカー小僧でございまして⚽️
9年間サッカーをやり続けた訳ですな。
まぁ高校でもなんだかんだサッカーはやるんだろうなと。自分でも入学当時は思ってました。
ところがどっこい。
何を考えたかヨシキ少年。
なんとサッカー部には入部せず、フットサル同好会に入会。あっさり今まで培ってきた9年間をポイしました。
同じようなものでしょ?と思ったそこのあんた。全然違うから!説明は割愛するけど!笑
なんでフットサルに、ましてや同好会なんかに入ったのかっていう話。
サッカー自体はとても好きだった。けど正直小中とサッカーやってきてガッチガチの部活っていうのがシンドさの方が強くなっちゃってたのが大きな理由。
そこで部活じゃなくて同好会を選んだってとこもあるねー。
そして1年半くらいはね、平和に面白おかしくフットサルを続けましたね。でもキッカケってのは本当にふとした拍子にやってくるんだなって今考えると思うすわ。
小学校の時からつるみがあったT田。AB型の変わり者のT田。何を隠そうコイツこそが俺をこの道に踏み入れさせた張本人である。
T田は中学の時からギターを弾いてた。
中学の時、コイツんちに遊びに行く度にギターを披露されて、興味ない俺からしたら「俺はいったい何を見せられてるんだ...」って気持ちですよ。
でもコイツから当時中学生でポルノグラフィティしか音楽知らなかった俺はBUMP OF CHICKENだとか、スレイヤーだとかメタリカを教わったね。(振り幅尋常じゃない)
高校に入ってもT田とは同じ高校でその時と同じようにコイツんちに遊びに行ったのね。
俺はフットサルだったけど、T田は軽音楽同好会というまぁなんとも青春がその辺に転がりまくってそうな同好会に入ってた訳ですよ。
そんでコイツはいつもの様にギターを弾きながら言ったんすよ
「よっちゃん(当時のあだ名)軽音入りなよ!」
と。
なんとも無責任、けれども甘美的な青春を匂わす一言。
俺は完全に甘い蜜の香りに誘われてやってきた蝶々だったね。
ついにこの俺もギターをかき鳴らして青春奏でる日が来たかと。
でもやっぱただの甘いだけの話じゃなかったんすよね。ハエトリソウに捕まった様な感覚だった。
そんなT田からさらに一言、
「あっ、でもギターは人数間に合ってるからベース弾いてよ!」と。
ん!?
ベース!?!?
ベースとは!?!?!?
ギター弾けないの!?!?!?!?
ベーシストの皆様なら共感できるあるある話だと思います...
まだベースという楽器が今ほど地位を確立できていない時代ですね...ベーシストの余り物的な立ち位置。
そもそもベースがなんなのか、楽器なのかすらわかっていなかったヨシキ少年。
その後にT田にベースのなんたるかを語られるも、ギターじゃないのかぁとショボくれる始末。
「とりあえず一回考えるわ。」
そう言ってT田宅を後にするヨシキ少年。帰り道をうつむきながら帰った事を今でも覚えとるわ。笑
でも決断のキッカケはほんと一瞬だったね。
そこから家に着いて雑誌を漁ってたんですよ。
そしたら一冊の雑誌に目が止まったわけ。
確かあれは進研◯ミ系の雑誌だったのかな。
その雑誌の表紙にさ、
ベースを抱えた、
めっちゃかわいい女の子が載ってたんだ。
これやと。
これが俺のやる楽器やと。
いや、やらせてくれと。
どれだけ不純と言われようと構わん。
これが俺がベース始めたキッカケ。
動機は不純だけど、購入までは早かったし、その後は本当にひたすらにベースを弾きまくった。
当時好きだったラルクとかグリーンデイ、sum41とか。特にラルクは死ぬほど弾き倒したね。
晩飯抜いて、深夜になっても弾き散らかした。深夜は流石に怒られたけどね。笑
それでも当時は趣味まででしかなかったんすよ。音楽で食いたいなんて気持ちはミジンコほどもなかった。
じゃあなんのキッカケで今の今までバンドなんてものをずっとやってるのか。これはだいぶ長くなってしまったのでまた次の機会にまたブログに書く事にしよっと。
長い事付き合ってくれてありがとね。
【next show】