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ある者はイエスを信じ、
ある者はブッダを信じ、
ある者はクリシュナを、
ある者はマハヴィーラを.......
誰もが誰かを信じている。
だが、誰ひとり弟子ではない。
というのも、
マスターを信じることは
弟子であることではないからだ。
弟子であるということは
自らの自己である、
真の自己であることの規律を学ぶことだ。
それを経験することの中に
生の宝物が隠されている。
~OSHO/The Invitation #23 September 1 , 1987 Evening~
より一部抜粋
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真の自己
そう、それは
私のマスターに出会ったことで
その学びが一気に加速したのだ。
それは光ばかりではない
闇もある
慈しみだけではない
怒りもある
喜びばかりではない
苦しみもある
だけども、
1年足らずの間に
数々の「生の宝物」に出会った。
生とはこれほど美しいものだと
知らなかった。
そして、それは
これからも出会っていくだろう。
Oshoというマスターに出会えたこと
瞑想に出会えたこと
そしてそからのたくさんの出会い、
本当に幸せなことです。
独りあること
真実を
探求していきます
ナマステ
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〜私のやっていること〜
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