突き詰めて考えると、私は「感動」する為に生きています。感動を感じる時、"生"を実感します。感動は主に旅先で感じますが、身近でも、しみじみと感じる幸せ、感動も沢山あります。自宅近くの公園の木々の美しさ、ある日の夕焼けの異常な美しさ、自宅で飲む一杯のコーヒー。あぁ、幸せだなぁ。と感じます。

感動は主に「出会い」とともに訪れます。人との出会い。景色との出会い。出会いは求めなければ、得られません。インドネシア、ジョグジャカルタ、ボロブドゥール遺跡のてっぺんから、母と一緒に仰ぎ見た朝日。あの日は厚い雲が空を覆い、朝日が綺麗にみられないかもしれないと言われており、母も諦めていました。しかし、私は諦めていませんでした。今まで、私は何度も奇跡を体験しています。絶対見られる。そう強く信じて朝日を待ちました。時間になり、雲が突然突風に掻き消され、最高の空にバーンと完全な朝日が登り、ボロブドゥール遺跡と私達を真っ赤に照らし染めました。母の目からは自然と涙がこぼれていました。あの瞬間の感動、美しさは一生忘れません。母と共有した永遠の感動であったことも非常に貴重で、「ここに来て良かったなぁ」と心が震え、魂が揺さぶられるほど強い感情の滾りを感じました。最近も、スーパームーンの奇跡を見ました。先日の旅先でも、心が震え張り裂けるくらい甘く切なく嬉しく悲しく、魂に火を付けられるような体験をさせて貰いました。世の中には本当に凄い人達が沢山います。驚きました。感動しました。

他にも沢山、沢山、数え切れないくらい、私は心震わせ、魂燃えるような体験をしてきました。最高の夜を友と過ごし、痛飲した酒が脳を麻痺させ、自由を謳歌した最高の夜。月光に照らされた美しい人の髪を撫でながら肩を寄せ合ったどこまでもロマンティックな夜。身を切られるような別れを選択するしかなかったあの夜。止められない嗚咽を漏らし泣いた夜も、喉が切れるくらい泣き叫んだ夜も、獣のように闘争本能を剥き出しにして咆哮し、敵と対峙した夜も、深い哀しみに脱力し、無気力に止めどない涙を一日中垂れ流し、死を考えた日もありました。今はその全てを受け入れて、全てを抱えて生きています。思い出すと恥ずかしくもなるし、過ちも沢山ありましたが、全てを認めて、自分の大切な想い出として心に秘めています。それぞれの想いは、私と相手の二人だけのものです。

私は喜怒哀楽を知っています。私は理性的でありたいと願うし、自制心の必要性を強く感じますが、一方で自分の感情に素直でありたいし、必要以上に感情を押し殺したくないと考えています。喜び、怒り、泣き、笑い。感じたままに生きたいです。私に喜怒哀楽を教えてくれた人達は今、どうしているだろうか。私の心を揺さぶり魂を燃やしたあの尋常ならざる美の景色は今もまだ変わらずに、そこにあるだろうか。もう一度会いたいなぁ。もう一度見たいなぁ。とも思うけれど、過去は過去。振り返るのはまだ早く、今は前だけを見て進まなければならない。更なる感動を探して、私は今日も前へ進む。心震わせて生きたい。魂燃やしながら生きたい。お客様に、そのような感動を与えられるような最高の品をお見せしたい。「感動を与えられる者は、感動を知る者だけ」だと言います。私は感動を知っています。その最高の喜びを、お客様と分かち合い、美の喜びを共有したい。