海軍砲台(15糎5砲)

航空自衛隊那覇基地内

 

 

小禄の海軍砲台は、海軍小禄飛行場(小禄航空基地)の所管が再度、逓信省から海軍に変更され、合わせて大規模な拡張工事が行われた際に設置された。砲は佐世保鎮守府の倉庫にあったもので、単装15糎5砲(60口径15.5センチ砲)が2門、他4門、計6門が設置された。設営したのは海軍第226設営隊(山根部隊)。

 

大規模な拡張の完成は翌19年9月頃。

砲台の詳細な設置年月日は不明。

隣接する陸上自衛隊那覇基地内に箕隅宮(ミーヌシン)と呼ばれる拝殿がある。拝殿の左隣には「カガンジデークニ碑」があり、その後方の森の中に鏡水海軍砲台が残っている。こちらは砲は撤去されている。

 

同じ砲をおいた海軍砲台は、沖縄本島の具志川市字具志川 2320周辺(具志川運動公園)にもある。砲はないけど。

 

 

現存する単装15糎5砲の砲台は、小禄飛行場の1番標高が高いところ(標高47メートル)の丘陵の山頂にある。砲口は慶良間諸島に向いている。

 

 

 

 

 

砲台は幅約7メートル×奥行き約8メートル

砲室は幅約4.5メートル×奥行き約6.8メートル

 

正面向かって左側の壁面部は、砲撃を受けたせいか、一部コンクリートの剥離が見られ鉄筋が剥き出しになった状態にある。

 

 

15糎5砲は両用砲で、通常弾に時限信管を付ければ高角砲になる。現存の砲は高角砲仕様だが、上部を分厚い掩体で覆われているため、上下の角度は限定される。どうやら海上の艦船や上陸部隊を攻撃する目的だったようだ。

 

沖縄戦の米軍の猛攻撃(6月4日)で、設置された6基のうち現存しているのはこの1基だけ。残りは砲撃で破壊されたという。米軍の猛攻撃で跡形もなく消えてしまったそうだ。沖縄では唯一、設営場所に現存している砲でもある。

 

昭和20年6月4日、海軍小禄飛行場の北部に米軍が上陸。小禄地区の海軍守備軍は後退し、6月6日に海軍小禄飛行場周辺陣地から豊見城74高地(海軍司令部壕)へと移っていった。

 

 

砲室へGO!

 

 

 

 

デカッ(・∀・)

 

 

 

 

 

 

 

 

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大正11年のワシントン軍縮条約では、各国の主力艦(戦艦、空母)の保有量を制限、昭和5年のロンドン会議では補助艦(巡洋艦、駆逐艦、潜水艦)の制限も合意された。備砲が155ミリを超えるのが重巡、それ以下が軽巡、130ミリ以下が駆逐艦と分類され、それぞれの合計排水量が定められた。 

 

 

 


日本海軍の現有の重巡は枠の上限に達していたため、重巡にも対抗できる軽巡を、ということで、強力な60口径155ミリ砲を備えた最上型軽巡4隻を建造した。この主砲は、本来なら「60口径3年式15.5センチ砲』の名称が妥当だったが、60口径を秘匿するため「15糎5砲」が制式名称になった。15糎5砲は後に大和型の副砲にも採用されている。

 

 

ワシントン軍縮条約は昭和11年に失効、15糎5砲は最上型軽巡から降ろされた。降ろされた15糎5砲は全部で60門あったが、戦艦大和と戦艦武蔵の副砲に24門(3連装×4基×2隻)、軽巡大淀の主砲に6門(3連装×2基)が転用された。

 

 

正規の出入口

 

残りの15糎5砲は昭和18年以降、何門かが仰角を上げて三連装または単装の高角砲台に改造され、横須賀、呉、佐世保の防備隊の砲台に配備され、戦史叢書『沖縄方面海軍作戦』によれば沖縄の小禄飛行場にも2門(単装×2基)が配備された。

 

 

碑文

『この砲台は、昭和18年6月から10月の間に海軍小禄飛行場が、対潜水艦用基地として整備拡充されるに伴い、海軍施設山根部隊によって施工、整備された15センチ水上砲台6基中の1基である。


昭和20年4月上旬、米軍沖縄上陸に際し、これらの砲台は、那覇西海上の海域に出現した米海軍軽巡洋艦1隻を撃沈したといわれている。米軍の猛烈な砲爆撃により、この1基を除き、他はほとんど原型をとどめぬまでに破壊された。


大田實海軍少将指揮下の沖縄方面根拠地隊将兵は、首里方面の戦闘に陸軍部隊とともに勇戦奮闘しつつ、この小禄飛行場周辺陣地を確保したが、昭和20年6月4日、小禄飛行場北部に米軍が上陸するに至り、当間(当砲台付近)、安次嶺(ここから北方800m付近)、気象台前(現陸上自衛隊第1混成団本部付近)の戦線を死守したが、戦況我に利あらず、6月6日小禄飛行場周辺陣地から豊見城74高地(旧海軍司令部壕所在地)へ移動し、遂にこの地区の戦闘も終焉した』

 

米海軍軽巡洋艦とは、どうやら Fletcher級駆逐艦 Longshaw (DD-559)のことらしい。

 

1945年5月18日、同艦は海軍小禄飛行場の南の海サンゴ礁で座礁し、タグボートで離礁作業中、日本軍海岸砲から撃たれた砲が前部弾薬庫に命中して艦首が完全に吹き飛ばされた(現存砲からの発射弾かどうか不明)。修理限度以上に損傷したため、米海軍艦船からの砲撃と雷撃により破壊された、とのこと。

 

 

ところで米軍撮影時、砲身は下がっている・・

違う砲台なのかな?