第146震洋隊宮戸島特攻基地

宮城県東松島市宮戸大鮫

 

陸繋島の宮戸島、旧鮫ヶ浦漁港。東日本震災の津波で被災した倉庫を改修した「鮫ヶ浦水曜日郵便局」があった。この郵便局は震災後に企画された1年間限定のもの。

 

「水曜日に起きた日々の何気ない日常や誰かに知ってもらいたい思いを手紙をこの郵便局宛に送ると、担当のスタッフが仕分けて同じように手紙を書いた別の誰かの元へ届く仕組み」

 

 

旧鮫ヶ浦漁港は、戦争末期にあった第146震洋特別攻撃隊の震洋基地を改修して開港した、とのこと。

 

  第146震洋特別攻撃隊基地

第146震洋特別攻撃隊は、昭和20年7月25日に開隊された。

 

震洋は海軍が開発した水上特攻艇。ベニヤ板製で1型改1は全長約5.1m×幅1.65m(1人乗り)、5型は全長約6.5m×幅1.86m(2人乗り)のモーターボートで、船内艇首部に炸薬250kgを搭載している。最高速度23〜25ノット(時速42.6〜46.3キロ)で目標の敵艦に体当たりする。秘匿名称は特攻兵器としては4番目なので○ヨン(㊃艇・㊃金物)。

 

本土決戦に備えてつくられた震洋基地は、日本本土では九州から東北までの太平洋沿岸が主な配置先。東北では小名浜(=第141震洋隊)と宮戸島の2か所にあった(青森県にもあった説あり、第147震洋隊?)。両地とも湾は入江も多く、敵の攻撃を受けにくい場所だった。

 

宮戸島の第146震洋特別攻撃隊の基地建設のために、集落と入り江をつなぐ約60mのトンネル、震洋基地内の入り江と反対側の入り江同士をつなぐ約50mトンネルが掘られた。この2本のトンネルを含め、全ての格納庫壕が素掘りだ。掘りにくそうな地層には見えないが、あの東日本地震の影響は軽微だったことから地盤は良かったのだろう。

 

集落と震洋格納壕群をつなぐトンネル=隧道

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素掘り。中央部ですれ違い待機所のような空間あり。

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このトンネルを抜けて100mほど歩くと震洋格納庫群(基地)がある。

 

宮戸島の震洋基地は、大鮫が浦・小鮫ヶ浦・畳石浦の3ヶ所にあり、震洋の格納庫壕が計11本掘られた。壕は高さ約2.5m×幅約3m×長さ10〜20mが多い。長いものでは50mのものもある。入り江、海に向かって右側に8本/向かい側に3本の格納壕という構成。

 

 

格納庫群は多くは戦後、漁具置き場、小舟の格納に使われていたようだ。

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宮戸島の震洋隊部隊は最後の146番目の部隊であり、震洋隊の中では3番目に多い兵員(搭乗員49人を含む約200人)が駐留していた。多くが学徒兵や海軍飛行予科練習生(予科練)の若者。

 

旧漁港は戦後、震洋基地を整備したもの。岸はコンクリートで固められていてスリップウェイ(船を海中に滑り下ろす鋼鉄製のレール)が残っているが、これは戦後につくられたもの

 

戦後の造作物(=レール)

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このスリップウェイに面した震洋基地内の入り江と、反対側の入り江同士をつなぐ約50mトンネルが掘られている。

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漁港の少し陸地側の平坦地に兵舎等があった話もある。こちらは戦後に水田が作られたが今は跡地。

 

宮戸島の基地から震洋が出撃することはなく終戦。ちなみに終戦時には本土決戦に対する備えとして約6,200隻が実戦配備についていたといわれるが、日本の沿岸では一度も使われなかった。

 

 

では帰ろう。

 

 

 

 

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