その2・みなかえ

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『日本書紀』神功皇后摂政13年の2月8日条と応神天皇即位前紀の割注に次のような記事があります。

応神天皇が皇太子であったとき、越国に行って角鹿の笥飯大神にお参りになったが、そのとき大神と太子とが名を相易えた。それによって、大神は去来紗別(いざさわけ)神といい、太子を誉田別(ほむだわけ)尊と名付けたという。それだと大神の名は誉田別神、太子の元の名は去来紗別尊ということになる。しかし、この事に関して『書紀』では、「けれどもそういった事実はどこにも見られず、いまだつまびらかでない」と述べていいます。

この事は「名易え」説話を難解にしている原因の一つになっています。両者を比較してみると、『古事記』における太子の角鹿滞在は、忍熊王との戦いで付いた汚れを禊で落とすため近江、若狭を巡歴した時の話となっています。