宣言発令が遅れ、重大さが増しているのにインパクトは初回時より弱い

 昨日1月7日に首都圏1都3県を対象に新型コロナウイルス感染症の緊急事態が総理大臣により宣言されました。この宣言による人々の行動や経済活動の変化による感染者数の削減効果は半月弱しないと分かりません。

 今夜の報道でも多くの府県で感染者数は過去最高値を更新し増加し続けています。ただし、宣言の人々の行動や経済活動への効果はすぐに分かります。これについては、首都圏の繁華街での 8日夜の人出は先月より減少したが去年の1回目の宣言時を大幅に上回ったことが報道されています。

 今回の宣言発令はもっと早くされるべきだったというのが専門家も含め大方の意見です。宣言が遅れてその結果一層重大さが増しているはずなのに人々へのインパクトは初回時より低い結果となっています。

1カ月後の終息を期待するが初回時でも2カ月弱 五月雨式宣言の結果は?  

 首相は今回の宣言にあたっての記者会見で「1カ月後には必ず事態を改善させる」と明言したと報道されています。これは、1カ月後には解除できるという意味ですが、今回の宣言が人々の日常行動に与える効果は初回時よりかなり低い。そのうえ、近畿圏やその他の知事たちが宣言発令の要請を行うと言い出し始めています。それぞれ同様に1カ月程度を想定しているようです。先に書いたように、宣言は制度上、国レベルの判断から整合性をもって一体的に行われるものです。これでは五月雨式に始まって五月雨式に効果が出て終わるということを想定しているのでしょうか?もうこの段階で1カ月後ということが曖昧になってしまいます。

 そもそも昨年4月7日の初回の新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言でも当初の1カ月であったものが、5月 31 日まで期間延長されました。1カ月後の終息を期待しますが、メッセージは論理的かつ慎重に出したほうが信頼感が高まると思います。

本来日常生活は拠り所 コロナ感染症では拠り所が拠り所でない 温暖化、格差拡大と貧困も同じ 解決は深い層からの対策を

 前置きが長くなりました。もともと今日は緊急事態宣言のことを書くつもりで始めたのではありません。コロナウイルス感染症を止めるための方策として法に基づく宣言を出して日常生活を規制しなくてはいけないという事態について考えてみようと思ったのがきっかけです。

 災害や不幸に見舞われた場合、また多忙な状況におかれている場合などにおいて私たちが戻るべき拠り所は平穏な日常生活です。ところが今回の新型コロナウイルス感染症ではその普段通りの生活を営むことが感染拡大の原因になっている事態です。拠り所が拠り所になっていない。かといって他に拠り所があるわけではありません。これは相当に深刻な状況です。

 言葉を変えれば、日常生活が日常生活を困難に追い込んで行く状況とも言えます。今日はここまでにしますが、温暖化の問題、また非正規の不安定雇用が増え、普通に日常生活を送っていても格差が拡大し貧困が進んでいく状況も見方によればよく似た事態ではないかと思います。これらの解決のためには、そのような事態であることを前提にして今後の暮らし、そして社会経済のあり方を考え、かなり深い層(レイヤー)からの対策に取組んでいかないといけないのではないかと考えます。