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ファシリテーターの荒牧さんは、20代後半で性適合手術をし、戸籍も変えて晴れて男性として生まれ変わることができました。周りからも男性と思われてストレスがなくなり、その頃はパートナーもいたのですが、以前は女性であったことを告白できない罪悪感や根拠のない不安に襲われることも多かったようです。
パートナーとは結婚も考えていたようですが、パートナー家族の反対もあり、パートナーもそのことでストレスで苦しみ出し、将来が不安になってすれ違うことも多くなり破局を迎えることになったそうです。
また、職場の方とは仲が良かったらしいのですが、熊本地震という事件で、人間が欲望に駆られ食料を奪うように持っていく姿を見て儚くなったり、友人は熊本から出て旅行に行っているのを聞いて怒りを感じたり、ボランティアで水を持っていった老夫婦に、「うちはいいから他の困っている家族に持っていって」と言われて、人間の本来の優しさに触れて涙を流したりしたそうです。
この時に、人間は共存できるはずがないという思いと人間は共存できるという相反する思いが当初はあったようです。
ジルドゥルーズの説明は、これまでの同一性の哲学を否定して、全て違いだけしかない、差異を反復しているんだ。同じように見ているのは、人間が違いの一部を切り取って同じだと思っているだけだという話に、ドゥルーズの綿密かつ深い解析力に驚愕でした。
また、違いだけしかない、差異を反復しているので、全てをオールYESで感じることができるという話がありましたが、言い換えれば、これまでこうあるべきとかこうすべきという固定された概念から解放されるような感じがありました。
アンチオイディプスの話は、フロイト、ラカンのオイディプスコンプレックスを否定して、人間の欲望のあるべき姿を資本主義と精神分析の関係性を使って語っていたようですが、かなり難解で分かりませんでした。
ただ、ドゥルーズは資本主義がもたらす脱領土化、脱コード化を徹底的に推し進めるべきと話していたことから、資本主義を通して人間のいろんな束縛から解放させたかったのかなと感じました。
ディスカッションでは、ドゥルーズ哲学の共感ポイントと限界について考えました。
出演者の詳細な話は省きますが、ディスカッションを通じて、全て違い差異しかない、差異の反復だという考えは、個人個人の個性や性格の違いを受け入れやすいとは思いました。「みんな違ってみんないい」というのが流行っていますが、ドゥルーズの哲学が根源になっているようにも感じました。よって個性を発揮しやすいのかなと感じました。
ただ、一方で関係性を作ってチームプレイをする時に、うまくいくのか?という疑問が湧きました。
ドゥルーズはリゾーム組織を提唱していますが、おそらく木の根っこのように無限に広がるイメージでバラバラなように見えてでも一つに繋がっているイメージはあったのかなとは思いました。
が、この繋がるイメージを表現する言語化することができなかった、つまり差異の反復を生み出す根源が何なのか?を説明できなかったのかなと感じました。
最後に、みんな違ってみんないいと思うけど、それだと、分かり合えなかったり、違いを認めているようで認めていない、むしろ拒絶反応が起きることもあり、人間関係がうまくいくわけではないのかなと感じました。
ドゥルーズ哲学かなり深まった感じがしました(笑)。