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ヒュームは、エジンバラ大学に入学するも、哲学しか関心がなく途中中退して、一時精神を病むも、人間本性論という書籍を発行しますが、当時は匿名で出版していたらしくあまり有名ではなかったようです。
そんな彼がどんな哲学を提唱したか?というと、形而上学が哲学の第一人者から落ちていく中で、倫理学を人間の感情に求めたようです。
彼は人間の認識を印象と観念という二つの知覚できる対象として、これが加工されたり統合されたりして認識が生まれるとしました。そのために想像が必要で、観念連合という現象が関与しているとしました。
またヒュームは因果と同一性を否定しました。
因果は、接近、継起、必然的結合という三つの要素から、信念が生まれてまるで因果関係があるかのように思い込んでしまう。因果関係は人間が勝手に作ったものであり、人間に元々備わっているものではなく自然法則でもないと考えました。
同一性は平たく言えば、物事は常に変化していてずっと不変であることはあり得ないという意味のようです。例えば人間の細胞はある期間過ぎたら細胞は全て入れ替わっているし、テセウスの船は当初使っていた部品は全部入れ替わるというように、ずっと同じままで止まっているものはないということですね。
彼は共感についても触れているのですが、共感は心理的現象、他人の情念を認知する仕組みだと言っているのですが、他人の情念は、直接は自分の心には現出しないこと、私たちは相手の表情や態度など見える部分から感知していること、そこから自分は他人の情念を推論することで共感を引き起こすということでした。
ヒュームの言っていることは論理的で間違ってはいないですが、あくまで他人の心を推論することしかできないので、相手の心を本当に理解できないという意味で限界だと感じました。
それでも知覚、観念というベースから、因果論や同一性を否定したり、共感について定義したことはその後の時代に大きな影響を与えたのかなと思いました。
そんな流れで、「共感していると思っていたのに裏切られた、あるいは共感していると思って裏切った経験、その裏にはどんな背景があったのか」についてディスカッションしました。
仲間と一緒に起業したのに仲間がどんどん離れていって裏切られたと感じた、せっかくアイスの好みが似ていると思ったのに想定外のアイスを注文されて裏切られた感覚になった、仲間と一緒に共通の夢を持っていたと思っていたのにプロセスを細かくすべきと言われて共感していないと感じて裏切られた感覚だった。ボランティア活動で意識の高い人たちが集まって共感できていると感じたのに9.11で民族の分断が起きてしまいショックだった、相手に良かれと思って言ったことが逆に相手から反感を買って泣かれてしまったなど、いろんな経験を聞くことができました。
一見すると共感しているように見えても環境状況が変わるとあっという間に関係性が崩れてしまい、実は共感していなかったというのは良くある話かなと感じました。
ヒュームの話でもありましたが、共通点や類似点があると共感を引き起こしやすいと言っていましたが、それが実は単なる自分の解析でしかないということですね。
では、どうしたら良いのか?という話ですが、やはり推論では無く、相手の心や気持ちに共感できる技術が必要になると感じました。