大己貴神社
社格・旧県社
鎮座地・福岡県朝倉郡筑前町弥永697−3
御祭神・大己貴命(おおなむちのみこと)

 


 

九州巡拝最終日の二社目は朝倉郡筑前町に鎮座する大己貴神社にお邪魔させて頂きました。須佐能袁神社から県道を福岡方面に40分位走らせたところにある神社です。

 

 

 

 

 

 

社頭から境内を進んで行くと松尾芭蕉の句碑が目に入ってきます。

「川上と  この川下や  月の友」と詠っています。

 

 

 

 

芭蕉の句碑を横目に進むと大神神社の扁額が掛かった鳥居と反り橋が現れます。

 

 

 

 

大己貴神社は、今から1800年以上も前に創建された国内最古の神社という説も根強いお社。秋には"おくんち"と呼ばれる伝統行事が行われ、秋月藩の大名行列を再現したという"おくだり"や、小中学生の舞姫たちが奉納する「浦安の舞」が見物となっています。また、鳥居には大神神社とあり、日本書紀に書かれている「大三輪社」のことではないかと言われています(ここ旧三輪町の地名の由来にもなっています)。

 

 

 

 

反り橋を過ぎ一段高い所に社殿群が建っています。

 

 

 

 

拝殿

 

 

 

御由緒

仲哀天皇は熊襲征伐のために筑紫の国(福岡)に訪れた時、神功皇后に神のお告げがあったそうです。「新羅を征伐しなさい。」 しかし、仲哀天皇はそのお告げを信じずに亡くなります。 その後、神功皇后は果敢に熊襲征伐を行い、その後、新羅へ三韓征伐に赴きます。
 しかし、新羅に赴くために全国に招集をかけた時にこの筑前町(旧三輪町)の豪族がそれを拒否しました。怒った神功皇后は兵を集めてその豪族を葬ります。その時、神功皇后はこの筑前町(旧三輪町)まで来たそうです。神功皇后が目を配った「目配山」など、神功皇后にちなんだ地名が多く残っています。 その頃、神功皇后の夢の中にある人物が出てきました。
その人物は、「私を祀れば兵が集まらなかったり豪族が拒否することはなくなる」
と告げたそうです。 その人物が大己貴命、つまり、おおくにぬしのみことだったと言われています。 そして、そこに祠を作って祀ったそうです。それが今の大己貴神社になっているそうです。そして、三韓征伐は成功したと言われています。

 

 

 

 

御本殿

 

 

 

本殿裏手に祀られている境内社

 

 

 

 

画像上の右側は八幡宮ですが、福岡には神功皇后を祀る神社が数多くあります。

箱崎宮・香椎宮・宮地嶽神社などは福岡の代表的な神社ですが、その神功皇后が祀り、祈った神が大巳貴命ですから、もしかしたらここ大巳貴神社はとんでもないパワースポットなのかも知れませんね。(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

御朱印

御朱印は社殿横の授与所で拝受することができます。

初穂料は300円

 

 

 

以上簡単ですが、大己貴神社でした(o_ _)ノ彡

 

 

 

 

それでは、今日も元気に行ってらっしゃいまし(*^^)v