須佐能袁神社
社格・旧村社
鎮座地・福岡県久留米市草野町草野443−2
御祭神・素戔鳴尊(すさのおのみこと)

 

 

 

九州巡拝最終日の一社目は、久留米市に鎮座の須佐能袁神社にお邪魔させて頂きました。

前日は鳥栖市内のホテルに宿泊し、朝7時にホテルを出て当神社に到着したのは7時30分ごろでした。

 

 

 

 

境内に入り鳥居を過ぎると神池があり、そこには太鼓橋が架かっています。

 

 

 

 

太鼓橋を渡ると楼門があります。

 

 

 

 

総欅造りの楼門は明治14年(1881年)春起工し、約5年強の歳月をかけ明治19年に完成したそうです。

 

 

 

 

拝殿

こちらの社殿も明治19年に再建されたもので、入母屋造り総檜葺の社殿です。

楼門・社殿共精緻な彫刻が施されいますが、上手く撮れなかったので割愛します(ノ_・。)

んー、それにしても惚れ惚れする社殿ですねー・・・ん、?俺だけかな(^_^;)

 

 

 

須佐能袁神社は呼び名の通り素戔鳴尊主神としてお祀りしております。須佐能袁神社は、建久八年(1197年)平家討伐に軍功があり、源頼朝から筑後国在国司・押領使に任じられていた竹井城主草野太郎永平が京都の八坂神社より勧請し、創建したと言われます。当時、草野祇園社といい、草野家代々の守護神として崇敬厚く奉祀して来たのです。  後に草野家は発心城に移り、その後下って天正十五年(1588年)、豊臣秀吉が九州平定の折り、蜂須賀阿波守に命じ草野家の末裔である草野家清を熊本の南関に誘い、家清は誘殺されました。ここにおいて、二十余代約四百年続いた草野家が滅亡し、代わって草野町民の手により今日まで氏神として奉祀してきました。神仏混合時代には勝光山祇園寺と呼ばれていました。明治に至るまで幾たびか戦火に見舞われたといわれていますが定かではございません。明治4年に神仏分離の政令により、今の須佐能袁神社(通称:ぎおんさん)と称するようになりました。
 

 

 

 

御本殿

 

 

 

拝殿の右側によこたわっている神牛(覆屋付き(^_^;))

 

 

 

本殿回りに数社の境内社が祀られています。

 

 

 

 

残念ながら何の神が祀られているかは不明です。

 

 

 

 

御朱印

御朱印は調べた限りでは一枚しか見かけなかったので期待はしていませんでした。勿論その事も織り込み済みで早朝に来訪したので特にガッカリはしませんでしたが、やはり無いよりはあった方がいいですよね(^_^;)それでも、この楼門と社殿を見れただけでも良かったと思っています。

 

 

 

 

以上簡単ですが須佐能袁神社でした(o_ _)ノ

 

 

え、やっぱり御朱印が無いと駄目ですか(^_^;)

 

それでは、今日も元気にいってらっしゃいまし(^_^)v