3日にわたって続いた信玄公シリーズも、今日でひとまず終わりでございますドキドキ




 そこで締めくくりに、あの人。


 NHK年末スペシャルドラマの主人公の1人、正岡子規に信玄公の魅力を語ってもらいましょうビックリマーク



 新聞 『日本』 に連載された子規の随筆 『病床六尺』 より、どうぞ合格





 信玄と謙信とどっちが好きかと問ふと、謙信が好きぢゃといふ人が十の八、九である。


 梅ヶ谷と常陸山とどっちが好きかと問ふと、常陸山が好きぢゃといふ人が十の八、九である。


 その好き嫌ひについては、多少の原因がないではないが、多くはただ理屈もなしに、好きぢゃといふに過ぎぬ。


 しかし一般の人は自重的の人よりも、快活的の人を好むといふことが、知らず知らず、その好悪の大原因をなして居るかも知れぬ。


 余は回向院の角力を観たことがないので、贔屓の力士などはないがどつちかといふと梅ヶ谷の方を贔屓に思ふて居る。


 さうして子供の時から謙信よりも信玄がすきなように思ふ。


 それはどういふ訳だか自分にも分からぬ。


 (明治 35年6月 17日)





 えー・・・汗

 ぜんぜん説得力のない推薦文をありがとうございました汗汗汗



 子規さんの場合、単なる天の邪鬼なだけの気はしますがドクロ

 



 余談ですが、文中にでてきた梅ヶ谷・常陸山の両力士は、明治を代表する大横綱です。


 正攻法の梅ヶ谷に対し、力自慢の剛力で対抗する常陸山。


 いかにも対照的な両力士は当時、梅・常陸時代と呼ばれる黄金時代を築き上げていました。





 そして、謀略家とされていた信玄に対し、義の武人としての謙信人気は江戸時代から延々と続いていたようですあせる

 




 一方、子規と対照的に、秋山真之は謙信びいきだったとか。


 真之と共に日露戦争を戦った清河純一中将がこんな談話を残しています。





 

 「提督は甲越の争いには非常に興味を持っていたらしい。


 提督の性格としては、信玄よりも謙信の方が好きらしかった。


 しかし其の戦法となると、提督の戦法は寧ろ謙信流よりも信玄流の方に近いと思われる。


 また提督が謙信のような人だったというと、相当反対論が出るであろうが、人物の全部がそうでないままでも、何処か一致した点があった。


 といって謙信が好きかと正面から聞いてゆくと、例の負けず嫌いの性格で、図星をさされるのが嫌いだから、これを否認して居たようだったが、どうもいろいろの点から推して、謙信がすきだったように思われる。


 提督の作戦計画は極めて科学的で綿密であったからだ。」




 そうか。真之も天の邪鬼か・・・汗汗汗




 いやいやいやあせる

 

 信玄公には叱られそうな特集ではありましたが・・・


 愛のなせるわざと言うことで、お屋形様には許してもらおう爆弾




 真面目な記事を期待していた方はごめんなさい。


 ここまで読んで下さった貴方、ありがとうドキドキドキドキ







 次回、謙信特集でお会いいたしましょう音譜


 (嘘です嘘です、謙信特集は未定です~~あせる











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