慶応4年(1868)年の5月30日。


 幕末の天才剣士と呼ばれた青年が、誰にも看取られることなく江戸・千駄ヶ谷の片隅でひっそりとこの世を去りました。


 新選組一番隊長であった彼の名は、沖田総司。


 沖田家累代墓碑に刻まれた享年は24歳、別の資料によると25歳とも27歳とも言われています。


 いずれにしても、早すぎる死であったことは間違いありません。





 沖田が没する前年の10月。


 新選組が忠誠を誓っていた徳川幕府は、265年にも及んだ政権を朝廷に返還します。


 

 大政奉還後の幕府の凋落は、すさまじいものでした。


 王政復古の大号令、徳川慶喜に対する辞官納地の決定、鳥羽・伏見の大敗・・・



 新選組は幕府の威信を懸けて戦い、しかしその中に沖田の姿はありませんでした。


 池田屋事件の時に喀血した労咳(肺結核)が悪化し、病床生活を余儀なくされていたのです。



 新選組と共に江戸へと撤退した沖田は、身元を隠して一人、千駄ヶ谷で 『井上宗次郎』 の名で療養することになります。


 一方、新選組は、幕府からの命により 『甲陽鎮撫隊』 と名を改めて甲州勝沼の戦いに赴きました。


 

 甲陽鎮撫隊が出陣する前、新選組局長であった近藤勇が沖田を見舞いました。


 「骨と皮ばかりの総司の顔をみたら、俺はどういうものか涙が出て涙が出て堪らなかったよ」


 後日、近藤は妻のツネにそう語ったそうです。


 そんな近藤の前で、普段は明るく気丈だった沖田が、この時だけは「一緒に戦いたい」と、声を上げて泣いたといいます。


 

 これが近藤と沖田の最後の別れとなりました。


 (沖田が甲陽鎮撫隊に参加するも、途中で離脱を余儀なくされたという説もありますが☆)





 近藤勇と沖田総司の関係は、深く情の通ったものでした。


 幼くして両親と死別した沖田が、半ば口減らしのように天然理心流・試衛館の内弟子として入門したのが九歳頃。


 後に試衛館四代目の道場主となる近藤勇は沖田の兄弟子であり、近藤は終生、沖田を 「総司」 と呼んで可愛がっていました。



 そして、沖田にとっても、近藤は特別な存在でした。


 沖田の剣術の形は師匠の近藤そっくりであり、掛け声までがよく似た細い甲高い声であったという談話が残っています。


 また、新選組時代に 「どうして人を斬るのか?」 と同僚に聞かれた沖田は、「近藤先生が斬れというから斬るのだ」 と答えたとか・・・


 人を真に動かすものは、思想でも信念でもなく、命を捧げると誓った唯一無二の存在なのかもしれません。





 沖田が没する約1月前の4月25日。


 流山で新政府軍に捕らえられた近藤勇は、屈辱的な死を迎えました。


 (詳しくは拙宅ブログ 『近藤勇144回忌』 を読んでね)





 沖田にとって唯一、幸せだったことは近藤の死を知らずに旅立てたことでしょう。


 沖田の周囲の者は皆、近藤の死を極秘にしていました。


 その為、沖田は死の間際まで 「近藤先生はどうされたのでしょうね。お便りは来ませんか?」 と、近藤を気遣っていたといいます。




  慶応4年5月30日、沖田総司逝去。



 新選組隊士や関係者による聞き書きによる 『新選組遺聞』 (子母澤寛) に、こんな逸話があります。



 沖田が亡くなる3日前。


 庭にいた黒猫を斬ろうとして、彼は付き添いの老婆に愛用の刀を持ってこさせた。


 しかし、衰弱した彼の刀では黒猫を斬ることはできなかった。


 「ああ、斬れない。婆さん、俺は斬れないよ」 と、沖田は悲痛に叫んで倒れ伏した。



 次の日も、同じ場所に居る黒猫を斬ろうとして、沖田は斬れなかった。



 そして、死の当日も・・・


 力尽きて床に伏した沖田の呟きが、最後の言葉になった。


  「あの黒い猫は来ているだろうなぁ」


 


 沖田が本当に斬りたかったものは、黒猫ではなかったでしょう。


 沖田が斬ることの出来なかったものは、何だったのか・・・


 不甲斐ない自分、抗えない死の影、近藤先生に迫る官軍の脅威、圧倒的な勢いで変わってゆく時代の波・・・


 それとも?



 大切なものを守るために剣を振い続けた沖田には、斬ることでしか生きた証を示すことが出来なかったのでしょうか。




 動かねば闇にへだつや花と水


 沖田の辞世と言われている句です。




 沖田の遺体は、人目を忍んで夜にひっそりと密葬されました。


 


 彼の死から一年・・・


 日本を激動させた戊辰戦争は、新選組副長・土方歳三の壮絶な戦死により幕を下ろします。


 それは同時に、新選組の終焉でもありました。











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