「空をみる」(是非読んで欲しい)
人の立場になってみる。難しいかもしれないけど、自分ではなく、誰かの立場になって考えてみると、見えないものが見えてくる。
僕は、かなり以前、野菜が出来なくなって悩み苛立った。生活は出来ていたけど、何を植えても育たない。そんな時、野菜の立場になって考えて見ようと思った。僕なら、ここで育ちたいかなと。
そして、野菜の近くに横たわり、周りを見渡して見た。目線を低くし、土が目の前に見えるまでに。
その時、世界が変わった。僕の中の認識が一掃された。なぜ、こんな事に気付かなかったのか、何故野菜の立場になって考えてみなかったのか。激しく後悔した。
低くした目線の先に映ったもの。それはトゲトゲしい生きた草と、刃物で切られてドロドロした朽ちかけた草と、我が物顔に徘徊するダンゴムシと、風で舞い上がるカサカサの砂と、日差しで熱くなった接着剤塗れの布と、金属の棒と、拾い忘れた何かの金属と、拾い忘れたプラスチックと…。
キリがなかった。見えたものがあまりにも多くて、動けなくなった。
ここで育ちたいかな?僕なら…。
暫くして立ち上がった。そして決心した。育ちたい環境に自分なりに改造してみようと。
防草シートを剥がした。金属の支柱を抜いた。落ちていた資材のゴミを全部拾った。良かれと思って草刈機で刈って敷いた草を取り払った。そしてイネ科の草を全部手で抜き去った。鎌も機械も使わずに野菜の周りの草を抜き続けた。
耕さない方が良いと思ってカチカチのまま放っておいた土を手でほぐし、地上に出ていた枯葉を土の中に埋め込み、均し、そして栽培中の野菜の周りに葉野菜の種をたくさん蒔いた。
その作業を終わって、疲れて座り込み、もう一度寝転んで見た。
空がみえた。
数日して畑に戻ると、蒔いた葉野菜の種がたくさん芽吹いていた。もう一度横たわった。
ダンゴムシはいたが、他の虫もたくさんいた。テントウムシもカマキリもバッタもいた。砂埃は舞っていなかった。心なしか、野菜が元気になった気がした。もう弱り果てていた野菜だったけど、でも、枯れずにそこにいた。
その年、収穫量は増えなかったけど、土が生き生きしてきたのは感じた。これなら来年はきっとうまくいくと信じることが出来た。
人は自分の立場だけで物事を見ていたのでは、本当の理由は分からない。何故そうなったのか、その時、関わりのあった人たちの立場になってみないと、何も分からないものだ。
だから、まずは一呼吸おく。そして、頭の中で相手の立場をシミュレーションしてみる。すると、相手の間違いも、自分の間違いも見つけられる。
その二つの間違いがぶつかり、物事を複雑にしたということが分かる。だから、その間違いを一つにすれば、問題は解決する。
それに気づけば、きっと空が見えてくる。