「自然の農法」
野菜を育てるようになってから長い年月が経つが、雑草は、無肥料、無農薬でも勝手に生えてくるのに、なぜ野菜だけは難しいのだろうかと、未だに考えることがある。
畑に雑草のカラスノエンドウがたくさん育っている。でも、それを刈って無肥料で野菜のエンドウ豆を育てようとすると失敗する。ナズ菜を刈って、水菜を育てようとすると失敗する。
なぜだろうか。何が違うのだろうか。
勝手に生えて来たものは、その畑の環境に合っているからなのか。それとも、雑草と野菜は土の中の必須元素の使い方が違うからなのか。
疑問を感じた僕は、ふとあるアイデアが浮かんだ。カラスノエンドウだけを畑で育ててみたらどうなるのか。うまく育てば、カラスノエンドウだって、鞘を食べることが出来るし。
カラスノエンドウの種を取って蒔いてみた。野菜栽培が上手くいかない畝に一列に。結果は大失敗だった(笑)。まず芽が出ない。出ても、アブラムシに喰われて見事に枯れてしまった。
しかし、カラスノエンドウは、雑草として生えている時は、アブラムシがビッシリと付いていても枯れることなく、ちゃんと成長している。この差は何か?
比べてみた。いや、比べるまでもなく、その差は分かっていた。畝の上はカラスノエンドウだけであり、雑草の中では、様々な草に囲まれている。差はそれしかない。
ではと、野菜の方のエンドウ豆を冬の葉野菜の種と混ぜてばらまいてみる。どうなるかと期待したが、パラパラとしか芽を出さない。なので、何度も追加で蒔いてみた。結果、見事に全てが育った(笑)。
それで判ったことがある。野菜であろうが、雑草であろうが、植物としての違いはあまりない。あるとしたら、雑草は人の手を借りずに育ち、野菜は人に手をかけてもらいながら、育つということ。
野菜と雑草を同じ条件で育ててみると、結果は大して変わらなくなる。周りに自分以外の他の植物がいて、しかも何度もたくさんの種を蒔くと成長するのだ。
なるほど、だから雑草なんだ。雑多に生えてくる草。多様性があるからこそ生えてくる。そして毎年大量の種を土に落とし続けているから、雑草は育っている。
人が野菜しかない状態の畝を作り、一粒づつ種を蒔いても、無肥料では育たなくて当たり前である。だから、僕はコンパニオンプランツをし、密集栽培をし、ばら蒔きした種は芽ぶくまで何度でも蒔くことにしたのである。
よりたか農法などと、最近は言ってもらってはいるが、僕には農法などない。あるのは自然界の模倣だけである。
それこそが、まさに自然の農法であるから。
※ブロッコリー、小松菜、レタス、春菊、ネギの畝