薬を飲んでいた時間は、まるで永い眠りの中。
そうおしゃってアドバイスをくれた方。
だとすると、かなり危険な状態で日々、生活をしていたことになる。
薬を辞めて、いろいろな気づきが日々現れている。
今日の気づきは、以前10時から23時半まで働いていた職場での出来事。
レストランとはいえ、通し勤務で、休憩も30分とれればいいほう。
そんな状態で、薬を飲みながら働いていた。朝電車に乗って通勤しているとき。
乗り換えの駅で、半分眠るような状態で、ふらふら歩きながら会社に行っていた。
電車から降りる時が、意識が朦朧としていて、そんなとき自分は寝不足だから仕方ないと、本気で思っていた。薬のせいなのに、一切そんなことは考えない状態だった。
仕事前にレッドブルや缶コーヒーを飲んで、目を覚まし、仕事をするのだけれど、
それが当たり前だったので、そういうものだと思って生活していた。思えば普通の人なら、そんな状態で仕事など出来ない。しかも働く時間も長い、休憩も30分ほどしかない。
そんな環境でも、ここはぬるいなと思っていた、厳しさがない、礼儀がない。
仕事に対して、甘えがある人が多いと感じていた。
最初に入った職場、次に行った職場。とても厳しい環境だった。
人はどんどん辞めていく。ついてこれない人間は容赦なく、切り落とされる。
去る者追わず、やる気のないもの二は要はない。
でも、そんな環境が自分には合っていて、やる気と気合のない人と、働くことが心底自分は嫌だった。限界に挑戦するような、ひりひりとした姿勢でこそ、仕事を習得できると信じていたし、周りの人間(先輩も上司も含む)にそれを求めるような人間だった。
いつも、目をギラギラさせていて、いつも隙あれば、昇進を狙う。そんな人間だった。ここ最近、そんな姿は全く自分にはなくて、というか封印していたが、
実は心の奥底にはずーーーーーと。それがある。
そして、自分は選ばれた人間なんだという自信もあった。
根拠のない自信。病的ともいえるけれど、薬を飲む前にそういったものがあった。
だから、もともと躁のような気質が自分にはあるのだと思う。
性格というか、自分らしさ。
その感覚はずっと持っていたが、いつしかすっかり忘れていた。
今、過去を振り返ると、いろいろそういった昔自分が思っていた事を、よく思い出す時間が増えてきた。
本来に自分は、それなりにアクティブで攻撃的で、仕事に対して厳しい姿勢と結果を求めるような人間だった。それを周りにも求めた。
なので、限界を超えるよな行動をよくして、自分を壊すような生き方をしてきたように思う。もっといい加減に仕事をしないと、継続できないのだから、要領よくやればよいのに・・・
紫周さんという書道家が好きで、アスリートが好き。
一生懸命目標に向かって努力している人が好き。
その対極にいるような人は、嫌い。
これが自分の特徴です。
そういった姿勢を大事にしてきました。昔の感覚が戻ってきたようなきもする。
でも、変えるべきこともある。それは自分のそういった価値観を人に強要してはならないということ。
自分でそういって姿勢をもって仕事や、日々の生活を送ることは良いが、人にそれを求めるのは少し違う。皆それぞれ価値観は違うのだから。
でも、不思議と自分の周りに集まってくれる人はそういった価値観を持っている人が多いような印象を受けます。
昨年の夏に、実はスキーのチームを立ち上げました。
今度は、その話をプログに上げようと思います。
ぽろぽろ。いろいろなことが思い出される。認知症の患者が、正常に戻るように。。。。。
洗脳されていた人が、自分の感情を取り戻すように。
記憶喪失から、記憶が復活するような。そんな感覚のような気がする。