文末に追記 米沢の公官庁と学校について戦後の変化
先日、たまたま『まちの広場』の北東部に小ぶりながらも
立派な石碑を見つけました。夕方だったのですが、街灯で
『興譲小学校創設の碑』と読めました。
自分の記憶には、米沢市役所があった場所からしかなくて、
こんな歴史があったのかということと、こんなところにこんな碑が
あったのかと再確認です。
で、調べるとこの碑文にあるとおり
明治13年に興譲学校として創設され、大正6年の米沢大火で焼失。
大正8年の米沢大火で焼失した市役所が大正10年にこの跡地に
新庁舎落成。
市役所は昭和45年に現在の金池に移転。
昭和47年に跡地に『ファミリーデパート』がオープンした。
まちの広場になったのは???
<追記>
戦後の公官庁と学校の移転状況を矢印で表してみました。
やはりずいぶんと拡大路線をとったあとが見えます。
逆をいうとそれまでかなりコンパクトな町だったといえます。
それをつくったのは大正の6・8年の米沢大火の後の
まちづくりにあったようですので、見てみたい。
過去に戻るわけには行きませんが『温故知新』で
見えてくる解決の糸口があるかもしれませんので・・・・