浅田次郎 『憑神』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 新潮文庫の5月の新刊。

 幕末を舞台にした貧乏御家人の物語である。幕末といえば戦国時代とともに風雲動乱の趣きが強く、そのため幾多の歴史小説の題材となっているわけだが、この作品の主人公・別所彦四郎の周囲にはそういう気配は窺えない。十年一日というけれど、大阪の陣以来、というよりさらに遡って三河以来の御徒士の意識は、三百年一日とでも言いたいほどだ。旗本・御家人がこれでは、徳川政権も続きようがなかったのだと思わざるを得ない。幕末を扱った小説でこれほどのんびりと推移する作品は初めてである。

 別所彦四郎は優秀な人材であるらしいのだが、養子先をしくじり、現在は冷や飯食いの身で、小遣いにも事欠く貧乏生活を送っている。その彼が「三巡稲荷」という小さな祠に神頼みをしたところ、これがとんでもない神様で、貧乏神、疫病神、死神と、災厄を三度までもたらすのだ。貧乏神は元の養子先へ、疫病神はやる気のない兄に宿替えして、彦四郎自身は難を逃れ、別所家の当主となって城勤めに出ることになるのだが、さすがに死神を他へ転嫁するのは気が引けて、最後は自身の死に場所を求めて、将軍の影武者の装束で上野の山へ官軍との一戦に出向いていく、というのがストーリーの大筋となっている。

 実は、自分も神社仏閣に出向けば手を合わせるし、森羅万象に神が宿るという考えも支持したいのだが、この作品のように、神が人間の形で現れて会話を交わしたりするというのは、どうしても好きになれない。だから、その部分は眉に唾つけて読むことになるのだが、前に書いたように、幕末の御家人の時代感覚のなさにはすごく興味を引かれた。勝海舟や榎本武揚はむしろ異端であって、大方の旗本・御家人にとっては、大政奉還も鳥羽・伏見の戦いも遠い世界の出来事なのだ。そして、江戸城が無血開城されれば、伝手を求めて新政府に採用されたりしてゆくのである。徳川家を支えるべき人々の無知と逞しさに唖然とする思いだが、歴史の真実というのは、案外とこのあたりにあるのではないかと、そんな気がして仕方がない。

 司馬遼太郎の歴史小説には決して登場しない人物を主役に置き、ある意味では徳川慶喜も勝海舟もコケにしたようなこの作品は、浅田次郎ならではの幕末ものと言えそうである。非現実な神様のありようは好きになれないが、小説としての面白さは認めなければならないと思う。

  2007年5月30日  読了