「へ」という字は、カタカムナ八方図では、「イヨヒ」の所を通ると、「ヘ」という字になります
「イヨヒ」を始念で解くと、意識するものが、方向性へ向かい、ある存在へ向かう言葉が「ヘ」です
「ヒ」の意味は多くありますので、ここでは「ヒ」のことをある存在というような、曖昧な表現にさせて頂きます
意から、ヒへ向かうまでに経由するという考えもできますが、へという言葉になぜ方向性があるのか
「へ」のカタカムナ図象の円の位置は、「ヨ」の位置にあります
「ヨ」は方向性をもって展開していくという位置です
そして、下の円がないということは、下で支えているものが無くなれば減るということ
プールの水など、下に栓があるものは、下にあるもの、栓が無くなれば、水は減っていきます
このことが、「ヘ」の音が持つ始念のように思います
「へ」が方向性を持つ言葉である理由は、「ヘ」という図象に隠されていて、減ることや、経ていくことや、水際の水辺では、水が現れては消える場所のように、減ることがあるのは、ヘルという言葉に、その理由があります
「ヘル」の「ル」の始念は、「整う」になります
「へ」という言葉の始念に整うということが「ヘル」ということになりますが、ヘに整うことが、減ることという意味になります
「へ」と読む字の「経、減、辺、屁」は、減り消えゆくものなので、「へ」と読むのでしょうね
「へ~」と感動するのも、現れては消えゆく感情
「へん」とあなどる時に発する声は、消えゆくものを出すという意味になります
「変」と思うものは、消えゆくもの
現れては消えゆくものを出すのが、「変」という言葉のようです
ベはどのような意味があるのか
ベルとは、音を鳴らすもの
消えゆくものを繰り返す
ベルは何度か鳴らすものと考えると、「ヘ」の始念を繰り返すことに整ったものと言えます
ズボンのベルトのように、腰に回すものは、ズボンの端の辺を、ベルトで押さえる
水際のようにズボンの際は、何度も脱いだり着たりするところ
ベルトを始念で考えると、消えゆくこと、または消えゆくところを、再び消えゆくことを繰り返すというのが「ベ」の始念で、整えることを透すというのが、「ル、ト」の始念なので、カタカムナの始念の通りだと思います
米(べい)、コメのことですが、カタカムナの始念にすると、「ベ」の意ということになります
「コメ」と読む時の始念は「コ」は光、「メ」は明確
コメとは、光を明確にするものになります
意味ははっきりと分かりませんが、「コ」と読む漢字の中から「コメ」とは何かを探す為に候補を選ぶと、誇、己が良いように感じました
米を大切にすることが、誇りを明確にする
己を明確にする何かが、米にはある、というのはどうでしょうか
今度は「ベ」の意で考えてみます
消えゆくもの、消えゆくもの、の意識
方向性を持ち消え、方向性を持ち消えゆく
その意識が、米のようなものだと言うことになると思います
小さくて、噛み応えがあって、美味しい
日本人にとって主食であり、体を動かす大切なエネルギー源
米から学ぶことも多いのでしょうね
べき(可き)、べからず(可べからず)、べし(可し)べそをかく(泣き顔)
これらの「ベ」も、方向性を表すことを、繰り返し繰り返し言葉や表現にしている
そして消えゆくような言葉や表現を繰り返しています
べきの「キ」の始念は発生するものを治めるという意味ですが、方向性を何度か表して、発生する気持ちを治める
その言葉が、そうするべき、という言葉になっていることがよく分かります
べしの「シ」の始念は、色々とありますので、べしの意味を考えて当てはまる言葉を選ぶと、方向性を何度か表して、一つの思いを生むことなので、ここでの「シ」の意味は思うの思だということになります
ベソの「ソ」は添うとか、素(もと)になるものという始念です
泣くということは、消えゆく心を繰り返し、添う心を表している
このように考えると、泣くのは、添いたいという心の表れであるということが分かります
べた 工夫がなくありきたりであるさま
「タ」の始念は託す、多い、他などがありますが、工夫がなくありきたりということは、べたのタは多いということでしょうね
ベター 比較的よいこと
これも同じ意味だということになります