戯はたわむれる、遊ぶ、ふざける
戯画といえば漫画のことで、戯曲といえば台本
一度真剣に行い、それを元にして、崩して形にしたもの
これが、たわむれる、遊ぶ、ふざけるということになり、戯画は、絵画を崩したものになり、戯曲は文学を台本用に崩したものということになります
欺、あざむくは、本当のことを知った上で、または、本当のことを元にして、人を欺くために考え出されたこと
これもギの始念の通りです
技(わざ)は何度も行い、身に治めたもの
技は、一度では身に付かないということだと思います
てへんなので、手を加えることですね
それと、手によって支えられるから、てへんと支えるという文字になっているということですね
伎はうでまえ、わざ、細かいわざと言う意味です
人偏と、支えるという文字なので、人を支えるのは、細かい技だということになります
妓は女を支えると書きますが、これは、偽りと同じではないでしょうか
為に行うと良いのかもしれませんが、考えが間違うと女の支えにはならないと考えられます
魏は委ねる鬼と書きますが、三国志の国の一つなので、委ねることを行っていたのなら義の国ですが、争いに明け暮れていたのなら、偽りや欺くのギの国だったのかもと考えてしまいます
宜はよろしくと言うときに使う言葉ですが、人と逢う時に、最初に宜しくお願いしますと言って、最後に宜しくお願いしますと言うので、ギの始念に当てはめることができるから、ギと読むのだと言う事が分かります
ここでも、カタカムナの法則に言葉が従っていることが分かります
よろしくと言う意味の他によろしい、よいという意味もあります
誼はよしみ、したしみという意味になります
言偏が付いているので、言葉によって、よくなる、よろしくなる
言葉でよろしくなっていくことを治めて、最後に言葉をかけると、よろしく治まるということのように思います
祇は祇園の祇です
人名、地名に使われる漢字になりますが、意味はやはり、偽や欺の方の意味でしょうか
着は服を着るで、重ね着と言うように、一度治めた後に、もう一度治めるという、カタカムナの、ギの始念に収まります
木は木々と読むときにギと読みます
多くの木、色々な木のことを木々と言うのですが、木々と言う言葉を使う時は、蒔きのように、多くの木を収めているときに使う言葉ですが、木々の意味を探ってみます、
木は、神さまが、人のための色々な思いを、土から発して治まったのが木になります
キの始念は、発生したものを治める
奥には愛があり、愛により発生したものを治めたのが、木になります
神様達の想いを考えながら木々の意味を解くと、人に対する愛により発生したもの
それが木ということですが、人の生活を支えるために、天の父さんと天の母さんが多く用意してくれたものになります
木とはそういうもので、ギの始念を加えると、人の思いにより使い道を考えて切り出してまとめ、そして、使う用途に加工して家などに治めたものが、木々ということにもなります
蒔きにして、保管してあるのも木々と言いますが、加工して使われる木々は、人の想いと、神様達の想いが治まっているものでもあります