どうも。
今回のブログは自分へのブログになります。
ちょっと楽しいお話にはならないと思うので、同人イベント関連を楽しみにしてる方には申し訳ないがブラウザリターンを推奨します。
リアル知人にも少し悲しい思いをさせてしまうかもしれませんが、ご報告もかねて。
10/18、愛犬ワクが亡くなりました。
約一年前に膀胱ガンと診断されて、余命一年を言い渡されるも、診断を受けた当初は血尿がひどく、もしかしたら一年持たないかもしれないと悲観していたときもありましたが、そこから薬が体にあってすぐに通常のように回復。
一時は、ガンなんて誤診じゃないかと思ったほどです。
しかし、やはり不治の病、今年の夏を越えてから一気に病状が現れました。
ほんの一ヶ月前までは私のご飯もよこせよこせと言っていたあの子が食べなくなって、最後は水のみに。
それでもあの子のすごいと思うところは、いつもの日常を決して崩さなかったこと。
食べさせようとしたら自分で食べると怒ったり、歩くのがおぼつかなくなってきたのでおトイレシーツを敷いたり、シーツ汚していいよって言ってもトイレは必ず自分の足で歩いて庭まで行きました。
体調不良で嘔吐するときもあったけど、必ずそれは寝床にしている玄関先の隣においているおトイレシートに。
そのおトイレシートは汚してもいいと理解しているはずなのに、それを御尻に敷いても、変わらずに庭に行くんですよね。
私が仕事から帰ってきたときは、起きあがれなくなっても全力でしっぽも振ってくれました。
亡くなる前日の夜中まで、あの子は本当に、いつもの日常を貫きました。
たぶん、その日常を貫こうとするプライドが逆にあの子を生かしていたのかもしれない。
あとね。
もうひとつすごいというか、神がかっているようにさえ思うのが、あの子のツキを呼ぶ力というんでしょうか。
亡くなった18日は土曜日。
私はシフトが休みだったのですが、世帯の離れた兄はその日、本当は仕事だったんですよ。
でも体調不良でたまたま休んでいて、土曜日に家にいつも通り顔を見せに来たんです。
もちろんワクの体調が悪いことは知っていたけども、正直、まだこの日に亡くなることはないと思っていたんですね。
様子を見て、兄が帰った3時間後の夕方に息をひきとりました。
最期の一時間、ガンの進行がピークに来ていたのか苦しんでいました。
多分、それまでも本当は苦しかったと思う。
けれど呼吸することをやめなかった。
私と父と母の前で最後まで、苦しんでいたけれど。
息ををひきとった瞬間を今でも忘れられません。多分、ずっと忘れない。忘れられないと思う。
ふたを開けてみれば、あの子は家族四人の顔をちゃんと見て逝ったことに。
それがね、まずすごいことだと思う。
満足だったのかな。
満足だと思ってくれていたらいいなぁ。
明くる日曜日、ワクを動物霊園におくりました。
歴代の犬たちが眠る宝塚動物霊園の方へお世話になることに。
ホントいうとね、もし平日にワクが亡くなったらどうしようって思ってた。
わりとそれで神経も病んでた。
仕事で最期を看取ってやれないかもしれない。仕事でおくってやることもできないかもしれない。
でも、看取らせてくれた。ちゃんとおくらせてくれた。
ありがとう。
でも生きる者のわがまま、かな。
仕事休んででもいいから、その分生きてほしかったと、思ったりもしてます。
ないものねだりですね。
今、このブログを書くことで、リアル知人に完全に報告できてるとは思いません。
わりと自分のための備忘録だと思っています。
だからワクを知ってる知人の中には、どうして教えてくれなかったのと思わせてしまうかもしれないね。ごめんね。
ただ言い訳させてほしいのは、このブログを今ようやっと自分のためにしたためようと決意したのよ。
亡くなった当初、翌日曜日に友人と会う約束をしていて、その人には電話でワクが亡くなったことと翌日会えないことと伝えたんやけど、もう私、すごい状態でな。
その友達に、ごめんね掛ける言葉が見つからないと謝らせてしまって、申し訳なく思ってる。
そりゃそうだよ。
数か月ぶりに電話してきたと思ったら、いきなりの訃報だもの。戸惑うと思う。
実をいうとこのブログ書きながらも目鼻汁ぶわってなってる。
まだね、個人宛に普通にメールを送れる状態じゃないんだ。
送る言葉も、返してくれる言葉も、穏やかに送受信できるほどには、まだワクの死を過去にはできてないんだ。
やから悪いんやけど、このブログをもってワクの訃報とさせていただきたい。
いつか、なんかの折りに会った時にワクが亡くなったことを言えるようになるとは思う。
「あの子はええ子やったよ」と。
それまで。
今回のブログは自分へのブログになります。
ちょっと楽しいお話にはならないと思うので、同人イベント関連を楽しみにしてる方には申し訳ないがブラウザリターンを推奨します。
リアル知人にも少し悲しい思いをさせてしまうかもしれませんが、ご報告もかねて。
10/18、愛犬ワクが亡くなりました。
約一年前に膀胱ガンと診断されて、余命一年を言い渡されるも、診断を受けた当初は血尿がひどく、もしかしたら一年持たないかもしれないと悲観していたときもありましたが、そこから薬が体にあってすぐに通常のように回復。
一時は、ガンなんて誤診じゃないかと思ったほどです。
しかし、やはり不治の病、今年の夏を越えてから一気に病状が現れました。
ほんの一ヶ月前までは私のご飯もよこせよこせと言っていたあの子が食べなくなって、最後は水のみに。
それでもあの子のすごいと思うところは、いつもの日常を決して崩さなかったこと。
食べさせようとしたら自分で食べると怒ったり、歩くのがおぼつかなくなってきたのでおトイレシーツを敷いたり、シーツ汚していいよって言ってもトイレは必ず自分の足で歩いて庭まで行きました。
体調不良で嘔吐するときもあったけど、必ずそれは寝床にしている玄関先の隣においているおトイレシートに。
そのおトイレシートは汚してもいいと理解しているはずなのに、それを御尻に敷いても、変わらずに庭に行くんですよね。
私が仕事から帰ってきたときは、起きあがれなくなっても全力でしっぽも振ってくれました。
亡くなる前日の夜中まで、あの子は本当に、いつもの日常を貫きました。
たぶん、その日常を貫こうとするプライドが逆にあの子を生かしていたのかもしれない。
あとね。
もうひとつすごいというか、神がかっているようにさえ思うのが、あの子のツキを呼ぶ力というんでしょうか。
亡くなった18日は土曜日。
私はシフトが休みだったのですが、世帯の離れた兄はその日、本当は仕事だったんですよ。
でも体調不良でたまたま休んでいて、土曜日に家にいつも通り顔を見せに来たんです。
もちろんワクの体調が悪いことは知っていたけども、正直、まだこの日に亡くなることはないと思っていたんですね。
様子を見て、兄が帰った3時間後の夕方に息をひきとりました。
最期の一時間、ガンの進行がピークに来ていたのか苦しんでいました。
多分、それまでも本当は苦しかったと思う。
けれど呼吸することをやめなかった。
私と父と母の前で最後まで、苦しんでいたけれど。
息ををひきとった瞬間を今でも忘れられません。多分、ずっと忘れない。忘れられないと思う。
ふたを開けてみれば、あの子は家族四人の顔をちゃんと見て逝ったことに。
それがね、まずすごいことだと思う。
満足だったのかな。
満足だと思ってくれていたらいいなぁ。
明くる日曜日、ワクを動物霊園におくりました。
歴代の犬たちが眠る宝塚動物霊園の方へお世話になることに。
ホントいうとね、もし平日にワクが亡くなったらどうしようって思ってた。
わりとそれで神経も病んでた。
仕事で最期を看取ってやれないかもしれない。仕事でおくってやることもできないかもしれない。
でも、看取らせてくれた。ちゃんとおくらせてくれた。
ありがとう。
でも生きる者のわがまま、かな。
仕事休んででもいいから、その分生きてほしかったと、思ったりもしてます。
ないものねだりですね。
今、このブログを書くことで、リアル知人に完全に報告できてるとは思いません。
わりと自分のための備忘録だと思っています。
だからワクを知ってる知人の中には、どうして教えてくれなかったのと思わせてしまうかもしれないね。ごめんね。
ただ言い訳させてほしいのは、このブログを今ようやっと自分のためにしたためようと決意したのよ。
亡くなった当初、翌日曜日に友人と会う約束をしていて、その人には電話でワクが亡くなったことと翌日会えないことと伝えたんやけど、もう私、すごい状態でな。
その友達に、ごめんね掛ける言葉が見つからないと謝らせてしまって、申し訳なく思ってる。
そりゃそうだよ。
数か月ぶりに電話してきたと思ったら、いきなりの訃報だもの。戸惑うと思う。
実をいうとこのブログ書きながらも目鼻汁ぶわってなってる。
まだね、個人宛に普通にメールを送れる状態じゃないんだ。
送る言葉も、返してくれる言葉も、穏やかに送受信できるほどには、まだワクの死を過去にはできてないんだ。
やから悪いんやけど、このブログをもってワクの訃報とさせていただきたい。
いつか、なんかの折りに会った時にワクが亡くなったことを言えるようになるとは思う。
「あの子はええ子やったよ」と。
それまで。