この間、夢の講座で仲間の話を聴いているうちに思い出した出来事がある

 

私が子供の頃は、今のようにお店がいっぱい無くて

当時若かった両親は一生懸命生活をしている中で、子供に潤沢にお金を遣えなかった

覚えているのは週末に車で買い物に行く時に「1つだけ」お菓子を選べた事

本も図書館で借りるだけ 本屋なんて行った事も無い

洋服も一緒に出かけて「これが欲しい」と買って貰った事は一度も無い

どっかで母が買ったか、誰かのお下がりか、あるいは作ったか

うちが特別貧しかったわけじゃなくて、多分あの当時のあの県では普通だったと思う

 

そんな頃、親戚の叔母が私と妹だけを連れて「洋服を買ってあげる」と言ってくれた

生まれて初めて「洋服を買うためだけのお買い物」に行ける事になった

しかも母無しで

嬉しくて嬉しくて、張り切って私なりに「可愛い」と思う服を選んだ

それは薄い化繊の、淡いピンク色をしたブラウス(か、ワンピース)だった

いわゆる「お出かけ用」の服で、いかにもお姫様みたいな服だったような記憶

子供ながらに、母は絶対選ばないと分かっていた服だった

母の意見を全く入れる事なく、生まれて初めて自分で選んだお洋服だった

妹は黒地に細かい白い水玉模様の木綿のワンピースにレースのボレロ

これも可愛かったな

叔母が何も言わず(反対することなく)買ってくれて、私は夢見心地で帰宅した

 

母は買ってもらった服を見て開口一番こう言った

「んまあ、〇〇子(私の事)は色が黒いのになんでピンクの服にしたの?

 ◯っちゃんの方(妹の事)が色が白いんだから、アンタが黒い服にしたら良かったのに」

 

当時5、6歳だった私はものすごいショックを受けた

可愛いねって買ってもらって、ウキウキで手に入れた私のピンクの服が一笑に付されたのだ

ピンクの服をバカにされただけでなく、私の容貌にもジャッジが下されたのだ

しかも自分の母親から

 

めちゃくちゃ乱暴に要約すると

「あんたブスのくせに分不相応な物を手に入れるんじゃ無いわよ」だ

実際そういう言葉を使わなかったとしても、私にはそう言われたのと同じだった

大層傷ついた私は、その服を実際に着た記憶が無い

子供だったからすぐ大きくなって、多分程なく妹にお下がりで渡ったような気がする

 

それからずっとピンクが嫌いになった

とにかく何でも選ばなかった、ピンクという色を

 

だけど、その出来事から35年後くらいに、私は息子のあれこれでインナーチャイルドに出会う事となり、それと同時にものすごくピンクを欲するようになった

とにかく肌身離さずピンクと共に過ごしたい、くらいに欲してしまい

そこから数年間、リングからブレスレットからアクセサリーを付けっぱなしにするようになった

当時パワーストーンで出来たブレスレットが流行り出していて、私はお得意さんのようにパワーストーンのお店でピンク色のブレスレットを買いまくって四六時中身に付けていた

ピンク色を可愛いと思ったあの頃の私に沢山プレゼントをしてあげたくて

自分を抱き締めるように、あの頃の悲しみを消し去るように買って身に付けていた

それこそ「癒し」だった

 

ブレスレットはそこから数年着け続け、3本が2本になり、1本になり

ある時から自然と身に付けなくなった

 

ブレスレットの存在すら忘れていた頃、あるいは忘れてかなりの年数が経った頃

茜染めに出会った

夕焼けのような、朝焼けのような、なんとも言えない魅力的な赤ピンク色の世界は

有無を言わさず私を虜にした

「染める」という世界にも引き込まれた

これが「描く」とか「縫う」だったら行かない世界だった

 

他の草木染めには目もくれず、茜染めばかり拘っている私の事が

時に自分でも何故か分からないのだけど

 

分からなくたって何だってそうでしか無いんだから

 

このまま行きます

茜染めをバックにキリンの親子

サバンナをイメージしてみましたwww