グニャグニャの
首がガックリ垂れたケイスケを抱き上げた時
1番最初に感じたのは
悲しみ ではなかった
真っ先に頭に浮かんだ言葉は
「しまった!やってしまった!」
という 失敗を咎められる予感に怯えるような
そんな気持ちだった
切ないよね
こんな悲しい時ですら
自分にダメ出ししてるんだもん
誰かに責められる事を恐れてるんだもん
何故、こんな状況であっても尚
この期に及んで自分が悪いと思うのか
真っ先に感じるのは「悲しみ」でよくない?!
目の前で涙を流しながらケイスケを抱きしめている次男を見ながら、その真っ直ぐさが恨めしいとすら感じてしまった
亡骸にすがって号泣する
それが当たり前だと今まで思っていたのに
そんな当たり前の事も出来ず
どうしよう どうしよう
こんなはずじゃなかった
私のせいだ と
悪い事なんか何もしてないはずなのに
言い訳を必死で探すような
みっともない感情ばかりが漂っていた
ずっと心に引っかかっていた思いが蘇った
1年程前、次男の幼馴染が23歳で亡くなってしまった時
知らせを受けてお顔を見に行き、対面した瞬間
真っ先に出た言葉が「ごめんね」だった
私なんかが彼の苦しみをどうにか出来る事など
何も無かったのに
何をどうしてあげたいと思ったのか
何に対して申し訳なかったのか
全然分からないまま
ただただ ごめんねと言いながら泣きながら彼の体を撫でていた
なんで「ごめんね」だったのかな
彼の家族も違和感を感じたかもしれない
なんで私が謝ってるんだろうって
ケイスケが1人で逝ってしまった事
苦しい時に側に居られなかった事
それは謝るには値するけど
「やっちまった!!」
っていう 戸惑い 恐怖 焦り
そんな感情が1番先に飛び出してきた事は
一生忘れない
ある意味 私らしいとも言えるのかも
でも虚しいよな。。。それって。。。
今年の2月くらいから
思い立ってケイスケの看病記録を書いていた
獣医さんに通い詰めていたから
綺麗なGUCCIのノート
このノートを最後まで使いきった頃はケイスケは居ないのかも、など案じながら使ってたけど
使い切るどころか半分も書かないところでケイスケは亡くなってしまった
こんなに早くノートの役目を終えちゃうなんて思わなかった
手元にあると辛いので
家族から一言ずつお別れのメッセージを書いて
お手紙のようにしてケイスケに渡した
一緒にお空に持って行ってねと
寂しくないように、私の髪も1束持たせた
抱っこが大好きだったケイスケに
私も一緒だからねって言いたくて。。

