ここ数年の最近で自分が10代の頃から知っていた現在は平均的には年代が75~85歳ぐらいの著名な武術家や日本での太極拳や武術関係者が他界されていたことを報道や人づてに知らされることがありました。

中には私自身も中国から来日されたり、自分が中国へ行って学んだ名武術家でももう既にお亡くなりになられた先生方もあります。

武術は医学とも密接に関係していて、こういう時、私は医科学的見地からの想いを馳せるようになります。


あるいは今70年~80年代でもまだまだ現役で動ける先生方も、あるいは日本には年配になって70~80代になった今でも我々の活動の中では日々楽しく元気に練習されて上達されていく皆様もいらっしゃいます。

思うと今から30年ほど前にその先生方の年齢はちょうど今の自分と同じ年齢ぐらいだったことを感じています。

自分が今その年代になったことを思うと案外日本人でも結構頑張ってこれたかな、という思いと自分が将来まだまだ10年、20年とこれからどのようにやろうかと期待を持って思案したりしています。

この30年間、自分が年々に実際に見てきた、感じてきた中国も共産的社会主義の国から資本主義的社会主義国というほかの国には解せないほどの大きな変貌を遂げ、武術界も様々な意味で価値観も年々と変化してきました。

私の同世代、10年ほど上の世代、そして20年ほど上の世代の方々を中国でも日本国内でも、その変化の中で見て感じることは多いです。

ある意味ではひとつの時代の終わりを思う時、そしてまたひとつの時代の始まりを思っています。


これは今世界中でも日本でも、日本人の中でも戦後大きな転換点を迎えた気がしています。

昨年から今年と私自身の感想では脱中国的、脱旧来型日本的、という考えになりました。

そして新国際的、新伝統日本的、の発展のために今毎日工夫に工夫を重ねては考え、よりよくするためにまた次を工夫しています。

ちょうど自分の世代を挟んで伝統残す昭和日本から平成日本へ所謂米国型現代日本社会にと変貌しました。

そして中国の武術界でも古い伝統から新しいものへと変貌をしました。

私は伝統の古き良いものを残し、相応しくないものは廃止して、新しいものでも良いものは取り入れ、自分たちには相応しくないものは取り入れません。

そんなフィルター感覚が自分の代の役割だと思っています。

日本では多くの人は考え方に偏りのある雑誌社編集部の選んだ情報で構成された雑誌の影響で「ある一部分的武術界」や同じく思想的、技能的に偏りのある「組織」などから知ることもあって、

それらを正しくすべてに感じているような方々が多い中で、私や同じ有志を持つ仲間たちとよく違和感を感じながらも有難いことに今までに頑張ってこれました。

やはり今までに武術関係者には、若い世代から素直に中国の武術界を直接知ることのできなかったことから歪んだイメージを国内に作ったことは遺憾に思っています。

自分は1985年から往来を重ね、実際の中国の武術界で先生にも練習生とも直接見て、話しをして(中国語は1986年訪中時までは独学でしたが、1989年からは話せるようになりました)聞いて、学び練功してきたもの、入手してきた書物や映像など資料の数々。

継続してきた武術活動、多くの実体験、そして自分の今の身体そのもの。

これは宝です。

今の日本でも情報がたくさん得られるようになりました。

多くの皆さんはもう既に過ぎてきた時間の中で実際の本当は何か、事実は何か。

そうしたものをありのままに見て、今後の将来に活かしていける皆さんがこれからの日本に根付く本当の「武術活動」が始まるように感じています。

可能性は誰にでも、いっぱいあります。