昨日は、「昨日は節分」というたわごとを書いたが、これを書いたのは一昨年だった。
近所のスーパーマーケットに昼飯のバッテラを買いに行ったら、恵方巻しか売っていなかったので、間違いに気付いたよ。
昨日は節分、今日は立春だね。
ところで、いささか古い話題になるが、「大丈夫」という言葉が気になってしょうが無かった。
一度、小額の買い物をして一万円札を出したところが、
「一万円で大丈夫ですか?」
と来た。
わしが一万円しか持っておらず、この一万円を出してしまったら、飢え死にするとでも思っているのだろうか。
「一万円だしても、死にはしないよ」
と言ったが、相手はキョトンとしていた。
近くのスーパーマーケットで買い物をしたときに、
「ビニール袋で大丈夫ですか?」
と聞かれた。
思わず、
「大丈夫かどうかは、そちらが判断すべきだろう。私はビニール袋でも構わないが、破れるかどうかはわからないね」
と言ったが、相手には通じた風には見えなかった。
また、ある時、わしが車を運転していた時に、同じ方向に行く近所の若者を見つけて、乗らないかと誘ったところ、
「大丈夫です」
と言われた。
「えっ? どういう意味?」
と聞いたが、どうやら、婉曲な断りの表現のようだった。
こんな風に、初めの内は一々反発したり、訂正したりしていたが、こんなに沢山の「大丈夫旋風」に会うと、反発するのも嫌になってしまう。
もう、世の中「大丈夫」だらけになってしまって、場合場合に応じた、「構いませんか?」とか「宜しいですか?」という言葉には滅多に会うことが無くなった。
たまに、「これで宜しゅうございますか?」などと言われると、その人が奥床しく見えてくる。
元々、「大丈夫」とは中国の周王朝時代に、時の一丈(180cm)以上の背丈がある大きな男を指した言葉であり、それから転じて健康で体格の良い男性を意味するようになったものだよ。
言葉は生き物だから変るのが当然とは、良く言われるが、微妙な表現を避けて、一つの曖昧な意味を持つ言葉で代行させようとするような風潮が見られるのは、頂けないね。
これからの日本語、本当に大丈夫かね。