昨日は、ワタクシの娘(=隠し子)のみのりんこと一之瀬みのり君が名探偵ポアロよろしく大活躍してくれました。
まあその、オリエント急行の全盛期と言いますか、1930年代はまだ今ほど航空機が発達しておらず、鉄道が陸上輸送の主力でしたからね。
でもって今、某所にてMLBのマリナーズとエンゼルスの試合を観ておりますけど、当時は西海岸までの移動が難しかった。
やっぱり、移動はプルマンの寝台車。
ゲーリックを描いた映画ですが、ベーブルースも出てきます(本人だぜ)。
ちなみに移動のシーンがありまして、そこで、明らかにプルマン型の寝台車で移動しているのがわかります。
https://www.tetsushako.or.jp/cgi-bin/museum/list_info.cgi?n=3260
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こちらに、鉄道ファンを発行している交友社の「100年の国鉄車両」という本に出てくるナロネ21の写真が出てきます。
こちらの映画は1960年制作。
同じくプルマン型寝台が出てきます。こちらは個室もあるナロネ22です。
大政治家が若い秘書とともに選挙区のある長崎に移動するのですが、個室ではなく開放型の寝台の下段に大先生、若い秘書はその上段にて夜を明かして移動するわけね。
この頃になるとアメリカでは航空網が発達して、MLBもエクスパンションを行ったし、それに伴ってニューヨークにあったドジャースとジャイアンツがそれぞれ西海岸に移動していきました。
ただ日本はまだ、そこまで発達していなかったことと、国鉄の運賃・料金がそこまで高くなかったこと、それに、航空機の移動はかなり高額だったので、なんせ利用には上司の「特別許可」がいるほどだったという時代です。
まあしかし、航空機の発達は鉄道を大きく変えましたね。
新幹線でかなり巻き返している部分もありますけど、あまりの長距離はやっぱりね、ってこと。
オリエント急行も末期になるともはや、「移民列車」としか言いようのない状況になっていたみたいね。
1977年に廃止されて、後に「イベント列車」的に復活はしていますけど、それはそれ。
ブルートレインも、末期になると食堂車は外され、車内販売さえない状態になってしまいました。
まさに「移民列車」や。
今なお残る夜行列車はというと、定期列車ではサンライズエクスプレスのみ。
嗚呼。
窓の開く列車も、今はほとんどなし。
まあ、換気のために開けられるのはあるが、それはもはや昔のコンセプトではないですからね。



