タマの目脂が止まらなくて、病院に連れて行きました。
さて、旅行記の続きです。
★2022年12月6~8日に行った北陸旅行の記録です。
【日程3日目】
この日の朝食も親しくなった方とご一緒しました。
話の中心は、地域クーポンの使い方でした。
yoihaは食事やお土産に使ってきたのですが、この方はショッピングモールで、電化製品(モバイルバッテリーなどの小物)を買われたとのことでした。
確かに、スーパーや量販店でも使えるみたいでした。
これまでのご旅行でもそうされてきたみたいでした。
大きな荷物はフロントに預けて、3日目のスタートです。
3日目は、1日フリータイムです。
最初に向かうのは兼六園です。
8時の開園を目指して歩いていたら、途中でポツポツ来ました。
そして、到着した頃には本降りになってしまいました。☔
時折、強風も吹きつけてきました。
園内の地図も、直ぐにボロボロになりました。
yoihaは、兼六園でまたしても信じられない行動に出たのでした。
どうしたと思いますか?
答えは中ほどで!
ヒントは、本降りの雨なのに写真の水面が!?
兼六園(有料 S)
1676(延宝)4年に加賀前田家5代藩主前田綱紀が金沢城に面した斜面に「蓮池御亭」を建て、その周辺を作庭しました。
その後、14代までの歴代藩主が約180年をかけて現在の姿に造成しました。
また、水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つとしても有名です。
徽軫灯籠
足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱に似ているのでその名がついたといわれています。
唐崎松
13代藩主・斉泰が近江八景の一つ、琵琶湖畔の唐崎から松の種子を取り寄せて育てた黒松です。
雁行橋
11枚の赤戸室石を使用し、雁が夕空に列をなして飛んでいく様をかたどっています。
また、石の1枚1枚が亀の甲の形をしていることから、「亀甲橋」ともいわれています。
七福神山
12代藩主・斉広が造営した竹沢御殿に附帯していた庭園の一部です。
七福神になぞらえた七つの自然そのままの石を配しています。
霞ヶ池
蓬莱島
栄螺山より
栄螺山は、13代藩主・斉泰が霞ヶ池を堀り広げた時の土を利用して造られた築山です。
瓢池
かつて蓮池庭と呼ばれ、兼六園の作庭はこの辺りから始まったと言われています。
池の中ほどがくびれていて、瓢箪のような形をしていることから名付けられました。
翠滝
霞ヶ池から流れ出て、瓢池に注ぎ込む大滝です。
夕顔亭の対岸に懸かっています。
夕顔亭
園内に現存する最も古い建物で、1774(安永3)年に建てられた茶室です。
黄門橋
謡曲『石橋』を題材に造られた橋です。
獅子岩
噴水
霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧で上がっています。
藩政末期、金沢城内の二の丸に水を引くため試作されたものと伝えられていて、日本で最古の噴水といわれています。
やっぱり動画も!
さて、冒頭でお出ししたクイズの答えですが、前日の夜の記事をお読み頂いた方は、だいたいお分かりですよね。
兼六園の中を半分ぐらい回ったところで、雨が上がりました。
そして、yoihaは写真を取り直すべく、もう一度最初から回ったのでした。😅
そうしたら、続々と団体さんが入園してきて。
何のために朝一番で入園したのか、分からなくなってしまいました。😓
しかも、根上松や花見橋、山崎山の辺りは、2回とも見逃してしまいました。
下の地図でいうと、上半分を2周した感じです。
※画像はお借りしました。
そして、撮れた写真も大して変わりませんでした。
何なら、1回目の方がよく撮れているのも沢山あったりして。😓
まあ、こんなことができるのも、一人だからですけどね。
さて、この旅3回目の金沢城公園(無料)に移動しました。
明るい景色も見ておかないとね!(かなり曇ってますが)