モニュメントデザイン発表式① | Il nome della rosa

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フィギュアスケート男子シングルのファンです。
羽生結弦選手を応援しています。
個人記録用ブログ

 

 

フィギュアスケートモニュメントデザイン発表式

日時:平成31年4月20日(土)

 会場:日立システムズホール仙台「コンサートホール」 

主催:フィギュアスケートモニュメント除幕式実行委員会

 

 

 

 

 

羽生結弦「SEIMEI」ポーズ決めた モニュメントデザイン発表式に登場

デイリー 2019.4.20

 

フィギュアスケートのモニュメントデザイン発表式が20日、仙台市内で開催され、ソチ、平昌五輪金メダリストの羽生結弦(24)=ANA=が出席した。羽生は黒のスーツ姿で登場。郡和子市長らから「おかえりなさい」と迎えられ、穏やかな笑顔を浮かべた。

 

 多くの関係者やファンに対して感謝の言葉を述べた上で、羽生は「荒川さんの隣に自分が2人並ぶのはとても恐縮ですが、2連覇したんだなと思うと、とても感慨深い思い」などとあいさつ。モニュメントと同じ「SEIMEI」のポーズを決め、会場を沸かせた。

 

 モニュメントは、仙台市地下鉄国際センター駅南側広場に4月29日に設置される予定で、縦230センチ、横160センチ。17年には、トリノ五輪を制した荒川静香さんのモニュメントとともに、ソチ五輪制覇のモニュメントが同駅に設置されていた。この日の発表式には、応募総数20113件から抽選で選ばれた約700名(関係者含む)が参加した。

https://www.daily.co.jp/general/2019/04/20/0012258870.shtml

 

 

 

羽生結弦がモニュメントデザイン発表式に出席「自分が2人並ぶのはとても恐縮」

2019年4月20日 10:34

フィギュアスケート男子で14年ソチ、18年平昌五輪金メダリストの羽生結弦(24=ANA)が20日、仙台市内で行われた「フィギュアスケートモニュメントデザイン発表式」に出席した。 

 五輪連覇の偉業を成し遂げ、被災地で復興に励む人々を勇気づけた羽生の功績を顕彰するため、同市内の地下鉄東西線国際センター駅南側広場にモニュメントを増設。デザインは、平昌五輪の「SEIMEI」ポーズと発表された。

 郡和子仙台市長(62)らとデザイン発表の除幕を行った羽生は、06年トリノ五輪フィギュアスケート女子金メダリストの荒川静香さん(37)のモニュメントと、自身が14年ソチ五輪で金メダルを獲得した際のモニュメントの隣に並んだ新たなモニュメントに笑顔を浮かべた。

 あいさつに立った羽生は「荒川さんの隣に自分が2人並ぶのはとても恐縮。本当に2連覇したんだなと感慨深い。これがきっかけになって仙台に足を運んでくれる人が増えてくれればいい。2つ並ぶことによって、顔の表情や靴の使い方、ポーズ、細かいところかもしれないが違ったところがあるので、じっくり比較しながら見ていただけたら」と話した。

 メディア向けの撮影時間で動きのあるシーンを撮りたいと求められると、モニュメントと同じSEIMEIポーズを即興で披露。会場からは大きな歓声と拍手が沸き起こった。

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/20/kiji/20190420s00079000120000c.html

 

 

 

 

 

【写真特集】羽生結弦、モニュメントデザイン発表式で照れ笑い

2019年4月20日 11:04 

フィギュアスケート男子で14年ソチ、18年平昌五輪金メダリストの羽生結弦(24=ANA)が20日、仙台市内で行われた「フィギュアスケートモニュメントデザイン発表式」に出席した。

 

 

 

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/20/kiji/20190420s00079000132000c.html

 

 

 

 

羽生結弦、改めて4回転半へ意欲「武器つくって令和に」

2019年4月20日 11:22

フィギュアスケート男子で14年ソチ、18年平昌五輪金メダリストの羽生結弦(24=ANA)が20日、仙台市内で行われた「フィギュアスケートモニュメントデザイン発表式」に出席した。 

 五輪連覇の偉業を成し遂げ、被災地で復興に励む人々を勇気づけた羽生の功績を顕彰するため、同市内の地下鉄東西線国際センター駅南側広場に増設。デザインは、平昌五輪の「SEIMEI」ポーズと発表された。

 記者会見では令和時代への抱負を問われ、「4回転半に挑戦したい気持ちは凄く強い」と強調。「これから戦うにあたり、自分の武器を付け加える義務感がある。武器をつくって、令和に向かって頑張っていきたい」と力強く語った。

 さらに、今の夢を問われると「1年前まで4回転半のジャンプだった。それで達成されると思っていた。今は夢じゃなくて習得してマスターしたい。具体的な挑戦するべきものに思えている。4回転半を初めて公式試合でキレイに決める人になりたいというのが今の夢」と語った。

 

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/20/kiji/20190420s00079000133000c.html

 

 

 

 

羽生結弦、サプライズで「SEIMEI」ポーズ!発表式で2度披露

 2019年4月20日 12:45

フィギュアスケート男子で14年ソチ、18年平昌五輪金メダリストの羽生結弦(24=ANA)が20日、仙台市内で行われた「フィギュアスケートモニュメントデザイン発表式」に出席した。 

 五輪連覇の偉業を成し遂げ、被災地で復興に励む人々を勇気づけた羽生の功績を顕彰するため、同市内の地下鉄東西線国際センター駅南側広場に増設。そのデザインが平昌五輪の「SEIMEI」ポーズに決まり、発表式中にはフォトセッションと終了間際に2度、そのポーズをサプライズで取って会場を沸かせた。

 記者会見で「SEIMEI」ポーズに込められた思いを問われると、「冒頭のジャンって鳴ってから、縦笛が流れているところのシーン。最初のポーズで天と地と人と全てをつかさどっている風に感じている。野村萬斎さんと話をさせて頂いたときに改めて色づけしてもらって、それをすごく大切にして演技をしていました。これはそこのポーズから動きだしているシーン。リンク全てを自分の支配下に置くみたいに、そういう強い気持ちで意味を持って滑っています」と語った。

 今の夢を「4回転半を初めて公式試合でキレイに決める人になりたい」と言う。平成の伝説となった羽生が、令和での新たな挑戦が始まる。 

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/20/kiji/20190420s00079000152000c.html

 

 

 

 

【羽生一問一答】「自分もモニュメントを建てたい」という子どもが1人でも増えれば

 2019年4月20日 12:55

フィギュアスケート男子で14年ソチ、18年平昌五輪金メダリストの羽生結弦(24=ANA)が20日、仙台市内で行われた「フィギュアスケートモニュメントデザイン発表式」に出席した。五輪連覇の偉業を成し遂げ、被災地で復興に励む人々を勇気づけた羽生の功績を顕彰するため、同市内の地下鉄東西線国際センター駅南側広場に増設。デザインは、平昌五輪の「SEIMEI」ポーズと発表された。 

 式典での一問一答は以下の通り。

 ――モニュメントへの率直な感想は

 「(平昌、ソチ五輪での金メダルが)記録として残るだけでなく、モニュメントとして歴史に刻まれるのは本当に凄いこと。形として残るということは、これからもつながっていく、残されていくということ。(五輪連覇を)66年ぶりに自分ができたことに誇りを持ちたい。これをきっかけに『自分もモニュメントを建てたい』と思う、仙台でフィギュアスケートをやっている子どもが1人でも増えればうれしい」

 ――昨年4月の祝賀パレードについて

 「皆さんの応援の声、そしてありがとう、おめでとう、という声をあらためて間近に感じられたことは大きな経験。(声援を)あの時いただけたからこそ、今もスケートを頑張れている」

 ――地元・仙台への思いは

 「復興の道半ばといっていい地域も数多くある。そういう中で、祝賀パレードをやっていただけたのは本当にうれしかった。また、それをきっかけに、仙台の地に足を運んでくださったり、募金をしてくださった方もたくさんいらっしゃったと思う。今回のこのモニュメントに関しても、自分ができる最大限のことをしていきたい」

 ――仙台でフィギュアを学ぶ子供たちへのメッセージを

 「とにかく夢をもってほしい。夢がなかったら、何か目標を作ってほしい。純粋な自分の気持ちを忘れずに、未来の自分が見ても気持ちよく思えるような自分を目指して、これからもやってほしい」

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/20/kiji/20190420s00079000155000c.html

 

 

 

 

 

感謝、復興、令和…全て語った羽生結弦と一問一答

 2019年4月20日 15:35

フィギュアスケート男子で14年ソチ、18年平昌五輪金メダリストの羽生結弦(24=ANA)が20日、仙台市内で行われた「フィギュアスケートモニュメントデザイン発表式」に出席した。五輪連覇の偉業を成し遂げ、被災地で復興に励む人々を勇気づけた羽生の功績を顕彰するため、同市内の地下鉄東西線国際センター駅南側広場に増設。そのデザインが平昌五輪の「SEIMEI」ポーズに決まった。発表会後の記者会見の一問一答は以下の通り。 

 

 ――仙台に帰ってきてどうか。

 「実は、昨日(19日)に帰ってきて、あまりまだ仙台だなという実感がなかったんですけど。こうやって、地元局の方とか地元紙の方とか、そういう方に会うと、ちょっと帰ってきたなって。凄く地元だなっていう温かい気持ちになりました」

 ――お披露目されたモニュメントの率直な感想は。

 「やはり、自分が2連覇したということで、その2枚分の活躍をできたということはすごく誇らしいことだなという風にも思いましたし。それが残るということに関しても、自分の演技はあの場、あの場所でしかなかったかもしれないんですが、それがちゃんと形としてずっと残るというのはすごく自分がやってきて良かったなというか、やっぱり五輪の金メダルは特別なものだったんだなというのを改めて感じました」

 ――モニュメントが増え、被災地、宮城、そして東北への観光客が増えると思う。その効果については。

 「そうですね、ちょっと違う話になっちゃうかもしれないですけど。先日、ノートルダム大聖堂が燃えてしまって、それの募金の話とか、凄くもうたくさんのお金が集まっていてすぐに再建、修理への気持ちというか、機運というのがしっかり動いている。あとは台湾も先日、地震があって、被害があったみたいで、そういったいろんな地域でもそうなんですけど、やっぱり一人一人の凄い小さな力かもしれないですけど、人間っていう一人一人の力が集まって、やっと復興だとか新しくなっていくということにつながっていくと思う。その一人ずつが何かつながるきっかけになるのであれば、自分という媒体を通してつながってくださるのはとてもうれしいことですし、仙台だからこそ、仙台にこのモニュメントがあるからこそできることじゃないかなとも思うので。やっぱり自分が仙台市民で良かったなと思うのと同時に、これがきっかけになって、もちろん仙台だけじゃなくて、宮城県、東北、東日本、そういった大きな目で復興っていうものが進んでいったらいいなという風に思っています」

 ――時代は令和になる。平成で伝説を作ってきたが、令和ではどんな伝説を。

 「やはり4回転半に挑戦したいなという気持ちは凄く強いです。実際にまだ跳んだわけじゃないので、そんな強いことは言えないかもしれないですけど。ただ、これから戦っていくに向けて、やっぱり自分の武器となる何かをさらに付け加えないといけないなという義務感が凄くある。何か武器を改めて作って、これから令和に向けて頑張っていきたいなと思います」

 ――発表式は600人に対して応募が2万113件あった。この倍率についてと、来られなかったファンへのメッセージは。

 「やはり、自分が入った時に歓声だとか、拍手の大きさとか、そういうものでたくさんの方がここに来て下さったんだなという気持ちも凄くありましたし、逆にその方々が代表でっていうのもちょっと変ですけど、2万をこえる応募があったということは、自分が滑るわけでもないので、フィギュアスケートのファンではない方もいらっしゃったかもしれないですけども、そういった方々が自分のことを凄く応援してくださったというか、このモニュメントのことについても楽しみにしてくださっているっていうのが、改めて数で、というのも変ですけれども、凄く伝わったなという風に思います。また、残念ながら足を運べなかった方々に対しても、やっぱり、その先ほども言ったように、一人一人ちっぽけかもしれないですけど、僕も含めてすごいちっぽけかもしれないですけど、1人から2万とか3万近くとか、そういう風に数が大きくなっていくにつれてすごく大きな力になると思うんですよね。やっぱり、そういった大きな力を改めて、その数字ということから感じさせていただいたなと、あらためて感謝したいなと思います」

 ――デザインはどうか。

 「まず、写真からそのまま使われているという点に関して、すごく自分で気に入っていて。やはり、自分は滑っている時、瞬間が一番、羽生結弦になれているなと思うので。やっぱり、その、滑っている瞬間を切り取ったものとして、デザインが残されるというのは、凄くうれしいなという風に思っています。またなんか本当に細かいんですけど、ソチ五輪から平昌五輪に向けてブレードの色が変わったりとか、そういう細かいところまで繊細に作られているものだなと改めて感じたので、そういった細かいところも見ていただけたらな、と。せっかく、ソチ五輪と平昌五輪と並んでモニュメントが建てられるということなので、そういう細かいところもちょっと気にして見ていたけたら楽しんでいただけるんじゃないかなと思います」

 ――荒川静香さんの隣に2つの羽生選手が並ぶのは恐縮と言っていた。少年の頃(の自分)に声をかけるとしたら何と。また、スケートを頑張っている子供たちへのメッセージ。

 「僕も実際に小さい頃にテレマサさんに特集していただいて、本当にちっちゃかったなと思うことも何かフラッシュバックして、色々思い出しました。あの、荒川さんの隣に2つ並ぶっていうのは、自分がしてこられたことに対して、やっぱり胸を張っていられるなという風に改めて思いますし。逆に小さい頃からこうやって仙台から頑張ってきて、こうやって荒川さんの隣に建てるっていうのは、やっぱり仙台の縁というかそういうお力を感じるなと思います。また、今、フィギュアスケートを頑張っている子たちに対しては、そうですね、もしかしたら僕の演技を見て始める選手とかもこれからいるのかなとか思ったりもしていて。そういう意味では、その子たちがやっぱりこういう風になりたないなという人間で常にありたいなと思います。また、そういった僕が感じた仙台の力とか、ちょっとでも感じられるような貢献を僕もこれから荒川さんに助けられたように、これから僕も仙台に対して、色んな力を使っていけたらなと思っているので、頑張る環境を作っていきたいなと思います。

 ――羽生選手自身の夢は。

 「実は、1年前までは、自分の夢は4回転半のジャンプだったと思っています。それをやれば、夢は達成されるという風に思っていました。ただ今の自分の気持ちとしては、4回転半は夢じゃなくて、しっかりと習得してマスターしたいものだなと。近い、具体的な、挑戦するべきものみたいなものに思えているので、夢ではないかなと。だから自分の夢は、そうですね。4回転半を初めて公式試合できれいに決める人になりたいっていうのが、今の夢かなと思います」

 ――ファンの存在は。

 「つらいことも、うれしいことも、もしかしたら自分よりつらくなったり、自分よりも喜んでくれる存在じゃないかなという風に思っています。やはり、直近この2シーズンで2回も大きなケガをして、その時に自分よりもつらいような方もいらっしゃったりとか。その中で、苦しい状況の中で、凄く前に向かってというか、上に向かって立ち向かっている方。そういうメッセージや手紙をたくさん頂いた。そういう方々の思いが自分に還元されて、最終的に自分の演技になっているんじゃないかなという風に強く思う。一言で言うと、自分のスケートの源みたいな感じがしています。これまで平昌五輪前、の前のシーズンくらいまでは、勝たなきゃいけない、強くならなきゃいけないとか、いろいろ考えたときに、凄く自分主体だった。でもそういう時でも応援してくださる方の力は感じていたけど、平昌五輪が終わって改めて、こういうモニュメントの場を設けてもらって、改めて皆さんの力、思いの力が凄く自分のスケートに役に立っているというか、凄く直接的に皆さんの思いが伝わっているんだなと改めて感じているので。そういう方々に逆に僕から感謝したいですし、スケートではない機会なので、しっかりと、発表式の時も皆さん一人一人の顔を見て、ありがとうって風に思っていましたし、たくさんね、テレビやインターネットで見てくださる方もいると思うので、この場を借りて感謝したいと思います。ありがとうございます」

 ――モニュメントのデザインへの思い。

 「このモニュメントのデザインの中に写真というのが印象に残っていて、自分が滑っている瞬間を切り取った物だと思っているので、そのモニュメントを見ることによって自分の演技だとか、演技全体でもなくてもいいけど、この瞬間が少しでも思い出されるようなものになっていたらうれしいなと思います」

 ―モニュメントのポーズ「SEIMEI」への思いは。

 「これは何て言えばいいのかな…。最初の冒頭のジャンって鳴ってから、縦笛が流れているところのシーンなんですけど。最初のポーズで天と地と人と全てを司っている風に感じている。野村萬斎さんと話をさせていただいた時に改めて色づけしてもらって、それを凄く大切にしてこの演技をしていました。これはそこのポーズから動きだしているシーンなんですね。だから、司っているシーンから、それを支配しながら、周りの状況というか、この時はリンクなんですけど。そのリンク全てを自分の支配下に置くみたいに、そういう強い気持ちで意味を持って滑っています」 

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/20/kiji/20190420s00079000216000c.html

 

 

 

 

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羽生選手の発言全文「形として残り、つながっていく。フィギュア始める子増えたらうれしい」

毎日新聞

 

仙台のモニュメントのデザイン発表式

 フィギュアスケート男子で2014年ソチ、18年平昌五輪を連覇した羽生結弦(ANA)が20日、仙台市の日立システムズホール仙台(仙台市青年文化センター)で行われた自身の二つ目のモニュメントのデザイン発表式に出席した。式典での羽生のあいさつと、司会者との一問一答は以下の通り

 

今日は皆さん来てくださり、本当にありがとうございます。モニュメントのデザインの発表式に、実際にちゃんと仙台に足を運んでこうやって皆さんの前に立てること、そして話せることをとてもうれしく思います。

 この発表式の段取り、計画は本当にすごく前から行われていて、そしてこの発表式自体の設営、環境を整えるにも、昨日の夜からたくさんの方々がやっていらっしゃいました。そういう方々にも本当に感謝したいなと思います。本当にありがとうございました。

 また、このモニュメントを作成するにあたって、デザインをするにあたって、たくさんの協賛の会社の方々、スポンサーの方々もいらっしゃいます。本当にそういう方々にも心から感謝したいと思います。ありがとうございました。

 そして何よりも、このデザインの発表、そしてモニュメント自体を楽しみにしてくださった仙台市民の方々、そして全国の私を応援してくださる方々、今日は当選されなかったかもしれないんですけれども。今日、今見てくださっている方々、本当に今まで応援ありがとうございます。

 (06年トリノ五輪フィギュア女子金メダリストの)荒川(静香)さんの隣に自分が2人並ぶというのは、とても恐縮で(笑い)。本当に「ああ、でも2連覇したんだな」っていう、何かすごい感慨深い思いと。(会場から拍手が起こり)ありがとうございます。

 これをまたきっかけとして、仙台に足を運んでくださる方が増えたらいいなと思いますし、こうやって(自分のモニュメントが)二つ並ぶことによって、自分も今見てたのですけれども、何か顔の表情だったり、靴の使い方だったり、ポーズの仕方だったり、いろいろ本当に違ったところも、細かいところかもしれないですけれども、あると思うので、ぜひじっくり比較しながら見ていただけたらうれしいなと思います。今日は本当にありがとうございました。

 

 ――デザインがお披露目された。率直な気持ちを。

 ◆まず自分が演技として、韓国の平昌の地で、そして、その前にはロシアのソチの地で演技をしてきたのですけれども、それが記録として残るだけじゃなくて、モニュメントとして歴史に刻まれるっていうことは、ほんとうにすごいことだなと思います。形として残るということはこれからもつながっていく、残されていくということなので、何か自分が、(フィギュアスケート男子の連覇は)66年ぶりだったかもしれないですけれども、自分ができたことに本当に誇りを持ちたいなと思いましたし、また何かこれをきっかけに、「ああ、自分もモニュメントを立てたい」と、そういうふうに思ってくれる。仙台でフィギュアスケートをやっている子が一人でも増えたらうれしいなとも思います。

 

 ――お子様たちにもそうですね。

 ◆はい。

 

 ――皆様にとってもうれしいモニュメント。ありがとうございます。

 ◆ありがとうございます。

 

 ――五輪2連覇が記憶に新しい。昨年は祝賀パレードがあった。振り返って。

 ◆もちろん自分がスケートをしている時も、たくさんの応援の声が届いてはいるのですけれども、改めて自分がスケートをしていない状態で、皆さんを上から見下すような形になってしまっていたかもしれないですけれども、改めてみなさんの一人一人の声とか、自分が皆さんに集中できる環境の中で、皆さんの応援の声、そして「ありがとう」「おめでとう」という声を自分で間近に感じられたというのはすごく、自分の人生の中でも大きな経験になりました。そして何か、そういう気持ちをあの時にいただけたからこそ、今またスケートを頑張れてるのかなというふうにも思います。本当にありがとうございます。

 

 ――最後に。震災から復興への歩みを進める地元仙台への思いを。仙台でフィギュアスケートをする子どもへメッセージを。

 ◆先ほど、パレードの話もありましたけれども、実際まだ復興の道半ば。または復興の道途中と言っていいのではないかなというふうに思う地域も数多くあります。そういう中で、祝賀パレードという形でやっていただけたのは本当にうれしかったと思いますし、またそれをきっかけに、仙台の地にいろいろ足を運んでくださって、募金(に協力)をしてくださった方、またはお金を少しでも落としてくださった方、たくさんいらっしゃったと思います。今回のモニュメントに関しても、自分ができる最大限のことをまた復興の方にもできるようにしていきたいなと改めて思わされるものでした。

 また、この仙台の地でフィギュアスケートをやっている方々、本当に頑張っていると思いますけれども、とにかく夢を持って。夢がなかったら何か目標を作って、そのまま純粋な自分の気持ちを忘れずに。自分が何かをする時に、自分が心から気持ちよく何かをできる、なんか昨日の自分や未来の自分が見た時に、「ああ、これはだめだったな」と思うようなことではなくて、いつ、どこで自分が見ても気持ちよく思えるような自分を目指して、これからやってほしいなと思います。

 

 ――羽生選手、ありがとうございます。

 ◆ありがとうございました。

https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20190420/k00/00m/050/120000c

 

 

 

 

 

 

羽生選手 記者会見一問一答全文 「復興が進んでいったら」

毎日新聞

 

フィギュアスケート男子で五輪2連覇の羽生結弦(ANA)が20日、仙台市青葉区の日立システムズホール仙台で行われた自らのモニュメントのデザイン発表式に出席した後、記者会見に臨んだ。

 

――仙台に戻ってきて。

 ◆実は昨日、帰ってきて、あんまりまだ「仙台だな」という実感がなかったんですけど、こうやって地元局の方とか、地元紙の方とかに会うと、「あー、なんか帰ってきたな」って。すごく地元だな、っていう温かい気持ちになりました。

 

 ――モニュメントを見ての率直な感想は?

 ◆自分が2連覇したということで、自分にとって、すごく誇らしいことだなと思いましたし、それが残ることに関しても、自分の演技っていうのはあの場所でしかなかったかもしれないですが、それがちゃんと何か形としてずっと残るっていうのは、自分がやってきて良かったなというか、うん。オリンピックの金メダルっていうのはやっぱり特別なものなんだなって改めて感じました。

 

 ――観光客も増えるのではないか。

 ◆そうですね。ちょっと違う話になっちゃうかもしれないんですけど、先日、ノートルダム大聖堂が燃えてしまって、その募金の話とか、たくさんのお金が集まっていて、すぐに再建、修理への気持ちというか、機運というか、そういうものが動いてるというのと、あとは、台湾も先日地震があって被害があったみたいで、いろんな地域でもそうなんですけど。

 一人一人のすごい小さな力かもしれないですけど、人間っていう一人一人の力が集まってやっと復興とか、新しくなっていくことにつながっていくと思うので。その一人ずつがつながるきっかけになるのであれば、自分という媒体を通してつながってくださるのはとてもうれしいことですし、またこの仙台だからこそ、仙台にこのモニュメントがあるからこそできることじゃないかなと思うので、自分が仙台市民で良かったなと思うのと同時に、これがまたきっかけになって、どんどん復興、もちろん仙台だけじゃなくて、宮城県、東北、東日本、大きな目で復興が進んでいったらいいなと思っています。

 

 ――平成で伝説をつくった。令和ではどういう伝説を?

 ◆えー、やはり4回転半に挑戦したいなという気持ちはすごく強いです。実際に、まだ跳んだわけじゃないので、そんな強いことは言えないかもしれないですけれども、ただ、これから戦っていくに向けてやはり自分の武器となる何かをさらに付け加えなくてはいけないなという義務感がすごくあるので、何か武器を改めてつくって、これから令和に向けて頑張っていきたいなと思います。

 

 ――今日のイベントの定員600人に応募2万113件。高倍率となった。

 ◆自分が入った時に歓声だとか、拍手の大きさとかでたくさんの方がここにきてくださったんだなという気持ちもすごくありましたし、逆にその方々が代表で、というのもちょっと変なんですけど、その2万を超える応募があったことは、自分が(今日)滑るわけではないので、フィギュアスケートのファンではない方もいらっしゃったかもしれないですけれども、そういった方々が自分のことをすごく応援してくださってるというか、すごくこのモニュメントを楽しみにしてくださってるというのが伝わったなと思います。また、残念ながら足を運べなかった方々に対しても、先ほども言ったように、一人一人ちっぽけかもしれないですけれども、僕も含めてすごいちっぽけかもしれないですけど、1人から2万とか、3万近くとかそういうふうに数が大きくなっていくにつれて、すごく大きな力になると思うんですよね。そういった大きな力を改めてその数字ということから感じさせていただいたなと思うので、改めて感謝したいなと思います。

 

 ――モニュメントのデザイン。感想は?

 ◆まず写真からそのまま使われている点に関して、すごく自分では気に入っていて。自分は滑っている時の瞬間が一番、羽生結弦になれてるなと思うので、そのなんだろう……。その滑っている瞬間を切り取ったものとして、デザインが残されるのはすごくうれしいなと思っています。また本当に細かいんですけれども、ソチオリンピックから平昌オリンピックに向けてブレードの色が変わったりだとか、そういった細かいところまで非常に繊細につくられてるものだなと改めて感じたので、そういった細かいところとかも見ていただけたらなと。せっかくソチオリンピックと平昌オリンピックと並んでモニュメントが建てられるということなので、そういった細かいところもちょっと気にして見ていただけたら楽しんでいただけるんじゃないかなと思います。

 

 ――デザイン発表式で、(仙台市地下鉄東西線・国際センター駅前に)自らのモニュメントがソチに続いて平昌分の2枚並ぶのは恐縮と話したが、少年のころの自分に何と声をかけたいか。スケートを頑張っている子へメッセージを。

 ◆僕も実際に小さい頃に(NHK仙台放送局の番組に)特集していただいて、ほんとに小さかったな、って思うことも、すごく今フラッシュバックして、いろいろ思い出しました。(2017年に建てられた06年トリノ五輪女子金メダルの)荒川(静香)さんの(パネルの)隣に二つ並ぶのは、自分がやってこられたことに対して胸を張っていられるなと改めて思いますし、逆に小さい頃から仙台から頑張ってきて、荒川さんの隣に立てるのは、仙台のそういうお力を感じるなと思います。

 今フィギュアスケートを頑張っている子たちに対して、そうですね。うん。もしかしたら僕の演技を見て始める選手とかもこれからいるのかなとか思ったりもしてて、その子たちがこういうふうになりたいなと思えるような人間で常にありたいと思いますし、またそういった僕が感じた仙台の力とかそういったものに関しても、ちょっとでも感じられるような貢献を僕もこれから、荒川さんに助けられたように、これから僕も仙台に対していろんな力を使っていけたらなと思っているので、頑張る環境をつくっていきたいなと思います。ありがとうございます。

 

 ――羽生選手の今の夢は?

 ◆実は1年前までは自分の夢は4回転半のジャンプだったなと思ってます。それをやることによって自分の夢が達成されるって思ってました。ただ今の自分の気持ちとしては4回転半は夢じゃなくて、しっかり習得してマスターしたいものだなと、本当にすごい近い、具体的な、何というかな……、挑戦すべきもの、みたいなものに思えてるので、夢ではないかなと思っています。だから、自分の夢は……、4回転半を初めて公式試合で、きれいに決める人になりたいっていうのが今の夢かなと思います。

 

 ――ファンはどういう存在か。

 ◆つらいことも、うれしいことも、もしかしたら自分よりもつらくなってたり、自分よりも喜んでくれてたりする存在なんじゃないかなと思ってます。なんか、やはり直近のこの2シーズンの間、2回も大きなケガをしてしまって、その時に、うん。自分よりもすごくつらいような方もいらっしゃったりとか、そのなかで苦しい状況のなかですごく前に向かってというか、上に向かって立ち向かってる方、そういうメッセージとか、手紙とかたくさんいただいたので、そういう方々の思いが自分に還元されて、最終的に自分の演技になってるんじゃないかなと強く思うので、一言で言うと自分のスケートの源みたいな感じがしています。

 これまで平昌オリンピック前の前のシーズンあたりまでですかね。勝たなきゃいけないとか、強くならなきゃいけないとかいろいろ考えてる時にすごく自分主体だった時があって、でもそういう時でもすごく応援してくださってる方々の力っていうのは感じていたんですけれども、平昌が終わってあらためてこういうモニュメントとかを設けてもらって、改めてみなさまの力が、思いの力がすごい自分のスケートに役に立っているというか、うん。すごく直接的にみなさまの思いというのが伝わっているんだなというのを改めて感じてるので、そういう方々に逆に僕から感謝したいなと思いますし、せっかくスケートではない機会なので、しっかりと発表式か。発表式の時もみなさんの一人一人の顔をみてありがとうと思ってましたし、また、たくさんテレビだとかインターネットだとか、そういうところでみてくださってる方もいると思うので、この場を借りて感謝したいと思います。ありがとうございます。ありがとうございます。

 

 ――このモニュメントのこのシーンにどんな思いがあるか。

 ◆このモニュメントのデザインのなかに写真っていうのが強く印象に残っていて、自分が滑ってる瞬間を切り取ったものだと思ってるので、このモニュメントを見ることによって、自分の演技だとか……。演技全体でもなくてもいいんですけれども、この瞬間が少しでも思い出されるようなものになったらうれしいなと思います。

 

 ――モニュメントのポーズについては?

 ◆(フリーの曲「SEIMEI」の)冒頭の「ジャン」、って(音楽が)鳴ってから、縦笛が流れているとこのシーンなんですけど、最初のポーズで、天と地と人とすべてつかさどってると感じていて、それを野村萬斎さんと話をさせていただいた時に、それを改めて意義づけしてもらって、それをすごく大切にしてこの演技をしてました。で、これはそれから、そこのポーズから動き出してるシーンなんですね。そのつかさどってるところから、それを支配しながら、まわりの環境というのかな。うーん、この時はリンクなんですけど、そのリンクすべてをその自分の支配権に置くみたいな。そういう強い気持ちで、意味をもって滑ってました。ありがとうございます。(退場時に)ありがとうございました。これからもお願いします。

https://mainichi.jp/articles/20190420/k00/00m/050/134000c