わたしは

 

「過食嘔吐に戻らないように」

 

という思いで、ブログをほぼ毎日書いています。(病気などで休んだことアリ)

 

 

 

 

毎日

 

「摂食障害のときの精神状態」や

 

「自分の生育状況との関連」や

 

「現在の心理状態」などを

 

ブログのネタも兼ねて考えています。

 

今は過食嘔吐も落ち着いていますが

 

このまま何年も何十年も過食嘔吐をせずに

 

低体重への渇望も無くなった時

 

 

わたしは

 

「摂食障害」

 

といえるのだろうか?

 

 

「摂食障害でシタ」

 

過去形になったとき

 

 

「摂食障害に苦しめられたかわいそうなわたし」

 

 

という価値が無くなるような気がしてしまいました。

 

 

 

元々、自己の不安定さがある為

 

いろんな「肩書」に魅力を感じ、畏怖の念を抱きやすい性質です。

 

 

「治りたい治りたい」

 

「過食嘔吐にならなかったら、お金も生活ももっと潤っていたに違いない」

 

「親の育て方が悪くて、摂食障害になったんだ」

 

 

恨めしくて、「タラれば」の世界に浸って、そんなわが身を嘆いています。

 

でも摂食障害にならなかったわたしに「価値」はあるのか。

 

「摂食障害」という「病人」のラベルがついているからこそ

 

今、こうしてブログも書いて、自分の体験を公開できている。

 

それが無いわたしは誰にも見向きもされないんじゃないかと怖くなってきます。

 

 

 

結局まだまだ「あるがまま」の自分では生きていけないのだと思います。

 

「摂食障害」というブランドがいつ満足して捨てられるのか

 

できるようになったら、楽に生きれるようになるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

今日も読んでいただきありがとうございます。