今年の春から浄土真宗の研修会に参加している。

月一回14回のお勉強会。

 

我が家は浄土真宗の檀家である。

○○寺門徒ということらしい。

研修で集まった人々は自己紹介の時に、私は○○門徒の誰誰です、と名乗る。

 

この辺の人はたいていは生まれた時から宗派寺が決まっている。

 

私は20年前にこの地に越してきて、ここの家の義理の両親の縁で自然と門徒をしているので何かと抵抗を感じている。

育った実家は臨済宗だし、もともと親も無宗教だったはずだ。

田舎から若い時東京に出てきて結婚して家を築いてきたら、寺だ、宗教だと関心が薄い。

 

誰かが亡くなって地元のお寺にお世話になり始めて何々宗の何々寺が菩提寺となる。

今では、身内の人が亡くなったら地元の納骨堂に収めるだけで関心の薄い人も多いと聞いた。

 

私の友人の一人は亡くなってもお経も上げずに、火葬して自宅に持ってかえってきた人もいる。

 

そんな時代である。

自由とはよく言ったものである。

 

なぜそんな自分が研修会に出ることにしたのか。

 

この研修会には30人くらいの門徒が参加している。

今年60になる私は若い方であるし、私のヨガ教室よりも多くの人がいるのにはいささか奇妙な気もする。

 

この研修に参加する理由は人それぞれであるが、人生そろそろ自分の事、そして死の事でも考えてみようという人がほとんどなのかもしれない。

 

私は大学卒業と同時に中国、インドと旅する中でヨガに出会って宗教とも出会った。

その後ヨガを通して仏教にも目覚めミャンマーでは得度までして仏教徒になった。

そんななのでビパーサナ瞑想をずっとしているし、お遍路もまわったし友人の坊さんから法名もいただいた。

 

そんな縁でもっと学んでみたいと思い新興宗教にも少し通ってみたりもした。

そしてこの話をいただいた。

 

さてここからが本題なのだが、長くなったので次回にしようと思う。