妻の統合失調症と姉の死、その狭間を生きてこの手にしたもの | 家族の統合失調症に向き合った日々

家族の統合失調症に向き合った日々

何の変哲もなかった人生が、家族の統合失調症をきっかけに変わりました。この経験を、同じ悩みを抱え苦しんでいる方に届けたい一心で書いています。

こんにちは。

しんいちろうです。

 

 

妻が統合失調症を発症した2018年、わたしにもう一つ衝撃的な出来事が降りかかりました。


一歳年上の姉の死です。

それは、出張先の神戸へ向かう新幹線の中で起こりました。

 

 

 

母から1通のメールが届きました。

 

何だろうと思って開けてみると、そこに書かれてあったのはメールを受信するまでは頭の中に一つもない世界でした。

 

姉が自宅で亡くなったらしいと。

 


 

メールを一読した時はまさか!?と思いました。

新大阪に到着してすぐ、わたしは母に電話をしました。姉の自宅に父が行き、警察と話しをしていることを知りました。

 

頭の中に、駅の喧騒とはまったく違う世界が見えてきました。


 

わたしの姉は、夫からDV被害を受けていました。それが原因で離婚した後、2人の幼い子どもと実家の近くにアパートを借りて住んでいました。


姉が亡くなった日、両親が住むマンションに「お母さんが動かなくなった」と、2人の幼い子どもが歩いて知らせにやってきたそうです。



父が姉のアパートに駆けつけると、床には缶チューハイが30缶ほど転がっていてすでに動かなくなっていたと、後で聞きました。


 

死因は肝機能不全。

 

自死をしたのと同じです。

 

 

わたしと姉は、仲が良いわけではありませんでした。帰省してもほとんど話しもしません。そのためか、姉が亡くなった時、悲しいという感情がわきませんでした。

 

 

姉がいなくなって、わたしの心には姉と喧嘩した確執だけが残ってしまいました。亡くなった姉の顔を見て、感情的に反応していたこれまでの自分を後悔しました。


自死をするほど姉が悩んでいたことに気づけなかったことに。


 

 

 

姉のことが起きて依頼、わたしは1日1日を大切にしようと思いなおしました。

 

命には限りがあることを目の当たりにしたからです。

 

姉の突然の死はさらに、わたしに真剣にヨガを学ぶ決意も抱かせました。

 

 

苦しみが人を成長させるという智慧に出会えたことで、統合失調症になった妻を看病する苦しみを乗り越えられたと思っています。

 

人はいつ死んでしまうか分からない。だから、妻がどんな状態であっても、今一緒にいられることが感謝なんだと思えるようになりました。

 

 

姉の死を体験して、そう思える自分がいます。

 

image

 

 

今日のブログがご参考になれば幸いです。

しんいちろう

コアラ