いじめたいわけでもないのに、気がつくと弱い者をいじめている。
できることならやめたいのに、やめられない。
どうすればいいんだ・・・

そう感じることはないだろうか?


なぜいじめてしまうのか、自分でも理由(りゆう)がわからない。


でもこれには、カラクリがあるんだ。


「弱い者」をいじめてしまう、そのわけは、
自分の弱いところを許(ゆる)せない人ほど、
他人の弱いところを許(ゆる)せない
んだ。


僕たちは、弱いところを人に見せたくないために、知らないうちに強く見せようとしてしまうことがある。

たとえば、授業中にまちがったことを言ってしまった時に、クラスから笑い声が聞こえてきたような場合。
その時に、はずかしい思いをしたのだけれど、はずかしい自分、弱い自分を見せたくないので、「うるせー」と、どなってしまう
知らない間に強く見せようとして、自分を守っているんだ。

自分の意志(いし)で強く見せようとしているわけじゃないけど、無意識(むいしき)に反応してしまうんだ。


はずかしい時のほかにも
悲しんでるところを見られたくない、がっかりしているところを見られたくない、なさけないところを見られたくない、などなど、
そのような時にも強く見せようと、怒(おこ)って攻撃的(こうげきてき)になってしまいます。



このような時に、自分に対して
「はずかしいんだね」「悲しいんだね」「がっかりしてるんだね」「なさけない思いをしてるんだね」・・・「大丈夫だよ」って、そのままの自分を受け入れることができると、
「どなる」「いかりをぶちまける」のように反応しなくてすむようになるんだ。

「はずかしい」とか「悲しい」とか「がっかり」「なさけない」という感情(かんじょう)は時間がたてば消えるから大丈夫だよ。


「いかり」のような“攻撃的な感情”が来たら、その奥にかくれている「はずかしい」「悲しい」「がっかり」「なさけない」「不安」などをさぐって、それを受け入れてみるといい。

弱い自分を受け入れるのは、むずかしいかもしれないし、受け入れたくないかもしれない。

でも「弱い自分を受け入れることができる方が、よほど強い人間だ」と思わないかい?

本当に強い人ほど、弱い自分を許(ゆる)すことができているんだ。

笑われても、一緒に笑えるような強さ。
台風にふかれても、しなやかにゆれるヤシの木のような、
ガチガチのかたさによる強さではなく、柔軟性(じゅうなんせい)がもつ強さ


この柔軟性がないと、たとえば野球界を代表するホームランバッターや、ヒット曲をたくさん出してきた超有名な歌手でもスランプに陥った時に覚醒剤を使ってしまうということにもなりかねないんだ。
「ホームランが打てなくて悔しいよね」「ヒット曲が作れなくて悲しいよね。でも大丈夫だよ」って思える方が良くないだろうか。



そして、弱い自分を許している人ほど、他人の弱いところを許すことができるんだ。
心がひろいとか、寛容(かんよう)とか、やさしいとか言われる人たち。
逆のようで不思議じゃない?

これがカラクリだよ。


弱い者をいじめるってことは、弱い者を許せないってこと。


“弱い自分を受け入れる本当の強さ”を身につけることができると


弱い自分を受け入れる → 弱い者を受け入れることができる → いじめずにすむ


今から弱い自分にOKを出していこう。
そして本当の強さを身につけていくんだ。