こんばんわー
あ、あの・・ものすごく久しぶりの更新となりました。
前回の更新は、なんと1月ではありませんか。
誰もきいてくれないけど、自分から言います(笑) ちゃんと生きてましたよー。
久しぶりの更新ですが、やはり、言いたいことを言います ^ ^
最近のことです。
ン・十年生きてて気がついたことがあります。
自分の顔って、自分では一生見ることが出来ないんだな。
今さらかい!でも、やっと気づきました。
どんな工夫しても、鼻先位しか、直接自分の顔を見ることは出来ません。
実は、鏡があるからこそ、自分の顔が見えるのでした。
皆さんはもう、気付いていたのでしょうけど。
そんで、ここからが重要。
いつもの自分たちの日常。
家庭で、電車の中で、会社で。
あなたの周りにも必ず、誰かしらの困ったサンや、あり得ないオッサンや、きつい上司、怠ける部下、
スピリチュアル世界では通称、
「気づきをくれる天使さん(ホンネの呼び方は各自にお任せ!^^;)」
が、誰か一人は、いますよね?
その証拠に、「自分が変わったら相手が激変した」という体験をお持ちの方も多いはず。
じゃあ、「それが何故なのか?」です。
この世に存在するのは、自分と鏡。そう仮定してみます。
すると、Aさんの服が場にふさわしくないから注意する。いっくら、何度注意しても直らない。
なんで?
鏡だから。
Aさんのおかしな服は、実は私の着ている服だった。
鏡の中のAさんの服を直そうとしているのと同じだったから、変わらなかった。
という構図ですね。
あ、そうか。自分の服なんだ。
気付いて自分の服を変えたら、鏡に映るAさんの服が変わる。
じゃあ、鏡って、なんなのよ?自分と相手の間に、鏡なんか、ないじゃない。
ひとことで言えば、 「法則」 ですね。いろんな呼び方があります。
カルマの法則。因縁果。因果応報。鏡の法則。引き寄せ。うんぬん。
言い方は違えど、つねに発信源は自分でしかない。
自分が困っているなら、自分が発信している・発信していた。
自分の顔は決して自分では見えないから、法則という鏡が
自分の姿を見せてくれる、教えてくれる。
だから、「何度言ったら分かるのよ!」相手を責めても、なーんも本質は変わりゃしません。
だって、映っているのは他ならぬ、自分なのですから・・
会社でみんなを困らせるどなたかがやっと辞めても、次には更なる強烈な人物が現れるし、
ダメ男さんとやっとこさ別れて次に行っても「今度こそは違うの(はあと)」と思ってるのは本人だけで…
「何度言ったら分かるのよ。」⇒鏡の中だから。元のあなたが変わらない限り。
それが意地でも変わらない、原因です。
こういう例も。
「いいえ、違います。あの人が悪い。その証拠に、全員がそう言っています。」
はい。
それは、その人によって気づくことがある人たちが、因縁の類によって同じ場所にいるということ。
まあこの、因縁の類ってのは、本当にどうしようもなく、因縁の類でして・・・・・
笑っちゃうくらい、因縁の類、そっくりさんが周りに集まります。
今、私の周りに嫌な人というのはほぼほぼ、おりませんが、
思う通りにならないことは大なり小なり、あるわけで。いまだに、人のせいにしたくなります。
ですから、この内容は自分に言い聞かせているのです。
何を自分は発信しているのかな。
何を正せばよいのかな。
今までのように、鏡の中の人を正しに行かない。
この世には、私と鏡しか、存在しない。 言い換えれば、
私と、「私が過去に何をしてきたか」を写す鏡としての
身内、他人、社会、世界がある。
これからも分かっちゃいるけど、
誰それが悪いと思ったり、失敗すると思いますけども。
* * *
そんな時は、あの呪文。
「鏡よ鏡。」
あとのセリフは違いまっせ?
「鏡の中に映っているのは、私ですか。」
正直、きついです。
きついけど、すっごく効果あります。現実がコロッと変わりますからね。
そんな風にして、見事に、この生きている現実を変えていきたいと思うのです。