今回は京都の本能寺をご紹介します。
本能寺と言うと、先月まで放映されていた大河ドラマ「麒麟が来る」の最終回にちなんで紹介するのかと思われるかも知れませんが、意図は少し違います。
信長暗殺の舞台となった本能寺の変の本能寺は現在の寺地よりも西方の四条坊門西洞院にあり、事件後、現在地の寺町通御池下ルに移されたのでした。しかし江戸期にも火災で伽藍が消失し、現在の本堂は昭和3年に再建されたものです。現在は日蓮宗本門流大本山。
しかし本能寺には信長以外にもゆかりの深い歴史的存在があります。それは朝鮮通信使です。朝鮮通信使は室町時代から続く朝鮮王朝との友好使節で、江戸時代には徳川将軍の代替わりの時などに、12回も朝鮮と日本の間を往来した使節なのでした。
釜山を出発し、瀬戸内を通り、大阪に上陸した後、淀川を川船で遡り、淀から鳥羽実相寺を経て、入洛しました。正使は本能寺で一泊し、それ以外の一行は周辺の寺などに分宿したのでした。
現在の本能寺の山門です。
日蓮宗の寺院らしく、門前では日蓮の辻説法像が参詣客を迎えてくれます。
現在の本堂です。江戸時代にも火災で消失しているだけあって、朝鮮通信使が宿泊した当時の面影はありません。
本能寺の変の本能寺は現在地ではありませんが、殺された信長の廟所がここにあります。
本能寺の変は戦国史上最も有名な事件であり、天下布武を目指した武将の墓だけあって、参詣者は絶えないようです。中央の信長の墓の周りには、本能寺の変で信長と共に果てた家臣たちの墓があります。通信使の使節たちは、これをどんな気分で眺めたのでしょうか。