皆さんこんにちは。
ソウル観光の一番の定番と言えば景福宮ですね。私は韓国旅行は個人旅行しかしたことがありませんが、ツアーなどで行くとお決まりのポイントだそうですね。歴史的に重要な場所であり、数回は行ったことがあります。
もちろんソウルに残る朝鮮王朝時代の宮殿の中で最大規模のもので、ごつごつした山並みの北漢山を背景に独特の景観を見せている風景は有名ですね。
世宗大王の銅像のある交差点を北に行くと、光和門に行き当たりますが、この門は景福宮の南門です。
この宮殿は朝鮮時代にあった諸宮殿の中でも中心的な存在でした(1392~1910)。韓流時代劇などで宮殿が登場すると、決まって景福宮だと思う人は多いようです。
しかし「景福宮」が正宮として存続した期間は意外に短いのです。1592年秀吉が朝鮮に侵攻をはじめます。いわゆる文禄慶長の役ですが、この時の混乱の中で焼失してしまいます。その後270年間も廃嘘のままで、再建されたのは朝鮮王朝末期1867年、高宗の時代になってからです。
やっと再建されたかと思うと、1895年には高宗の妃である明成皇后(関妃)殺害事件が起こされ、韓国併合のあった1910年以降は、朝鮮総督府の庁舎が建てられたりしました。総督府の建物は解放後、中央博物館として使用されていたのは有名です。しかし残された建築物から朝鮮時代往時の姿をしのぶことができます。
上記の写真が光和門です。堂々たる建築で迫力に満ちており、王宮防御の主役の威厳は十分です。「景福宮」の正門として、太祖4年(1395年)に創建されましたが、1592年の文禄の役で焼失しました。それから約270年後の1864年(高宗1年)に再建されました。
さらに1950年の朝鮮戦争で再び焼かれ、1968年に鉄筋コンクリートで復元されました。
上記写真は光和門をくぐったところ興禮門です。背後には宮の中心建物である勤政殿があります。この門の手間のところには、かつて朝鮮総督府の庁舎がありました。
左手には現在は、朝鮮時代の宮廷風俗を展示した故宮博物館が作られています。
さて、いよいよ上の写真が景福宮の主殿である勤政殿です。この建物の前では国王拝礼のおり、文武百官かひれ伏し、国王と対面したのでした。
景福宮の正殿であり、「民を勤勉に治める」という意味を含んでいます。国王の即位式や外交官の接待などが行われた場所です。
景福宮の中でも最も雄大な建物で、中央には玉座があります。その後ろの屏風に描かれた「日月五峰図」は1万ウォン紙幣の図柄に採用されています。
上の写真は勤政殿の内部です。中央に国王の座った玉座があります。周囲は絢爛たる装飾で飾り、権力に威厳をつける役割を果たしたのでした。
ちょうど玉座の上の部分です。龍の模様が設えてありますが、代々、龍の文様とは国王を意味するものであり、龍の文様のあるところには国王の存在が意図されているのでした。
上の写真は慶会楼です。2階建の建物で、国の祝事の際の宴のために作られた、池に浮かぶ楼閣です。当時、公式的な行事以外では立ち入ることができませんでした。
いかがでしたか。景福宮では毎日ガイドツアー(韓国語、日本語、中国語、英語)が実施されています。解説員の案内を聞きながら、景福宮の歴史に思いを馳せるのはいかがでしょうか。
所在地
ソウル特別市 鍾路区 世宗路 1-1
(서울특별시 종로구 세종로 1-1)
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