皆さんこんにちは。
前回は文禄の役 最初の激戦地である釜山鎮城についてお知らせしました。ここでは小西行長率いる日本軍の急襲にも関わらず、鄭撥率いる朝鮮軍はよく戦いました。しかし多勢に無勢、守城勢は殆どが討死したと伝えられます。
鄭公壇
釜山鎮城のある丘の麓には釜山鎮城での戦死者の慰霊のための施設があります。
公園の方へ登るケーブルカーの駅のすぐ近くにその施設はあります。
秀吉の朝鮮侵略から168年後の1766年、戦死者を悼んだ当時の釜山僉節制使李光国が、鄭撥やその他の戦死者を追悼する施設を設けたのが「鄭公壇(정공단)」です。日帝支配期の一時期、祭壇は閉鎖されますが、解放後復活し、現在も旧暦4月14日に祭祀が続けられています。秀吉の軍が朝鮮で何をしたかを物語る一例ですが、このような惨状が朝鮮全土で展開したことは忘れてはいけません。
敷地内には鄭撥の壮絶な戦死を悼む「壮公鄭撥戦亡碑」もあり、追悼の空間として今も大事に守られている様子が伺えます。
鄭撥将軍銅像
また地下鉄草梁駅前には鄭撥将軍の銅像もあります。
1977年に制作、建立され、2012年に修理されたそうです。
将軍と並んで、一般兵士らしい人物像も描かれています。駅前広場の分かりやすいところにありますが、一般の認知度はさほど高くはないようです。
釜山駅にも近いところです。観光の合間に訪れて、歴史認識を深めるのはいかがでしょうか。