こんばんは。
皆さんもそうかもしれませんが、
この10年、という時間を考えるここ数日です。
10年。。。
そんな先のことなんて考えられないな。そう思って日々生きている気がします。
でも10年経ってみると、ああもうそんなに時間が過ぎたのか、と不思議に思う。
あの瞬間、何をしていたか。
とっさに何をしたか。
どんなことを感じたか。
鮮明に憶えています。
時間が経ち、少しずつ状況が明らかになるにつれ、感じることは波打つようにうねり翻弄されたわけですが、
感覚として強く残っているのは、
東京に住んでいる自分であっても、この出来事を経験したあとでは、今までと同じようには生きていくことができないだろうな。。。という衝撃でした。生活するにしても、仕事にしても。
先日、久しぶりにドキッとするような揺れの地震がありました。理屈抜きに身体が思わず身構えるような。
同時に、
あの瞬間と同じような地震が再びいつきてもおかしくないという普段の心構え、みたいなものが、意識に留めているつもりでじつは簡単に薄まっている。。。と自覚しました。
10年後のその日その時刻、ウチでひとり黙とうしました。
そしてこの10年という時間を振り返りながら、あの震災について改めて考えていました。
追悼、のことば。
そういうものを、ある日が来たとき今この場所から唐突に表すには、あまりに重く長い時間だと感じています。
自分で自分が軽々しく思えるような「あの出来事の後の薄まりつつある自分」を突きつけられたようで、僕は手が止まってしまいました。
二万人、という数は膨大すぎて痛みを切実に捉えることが難しいところもあります。
けれど、家族や家を失うことの衝撃は、自身に置き換えると迫り方がまるで変わります。
改めて、あの地点から留めおくべき思いを強く意識した今年です。
現在も続いている。
その通りですね。