最近、息子は学童で
昔のドラえもんを
DVDで観たらしく、
「ねーねー、〇〇ってどうぐ
おぼえてる?」
と私と夫に尋ねてきます。
わからんわ 爆
しかも私は子どもの頃、
アニメのドラえもんが
観られなかったので
昔の話なんか
覚えているわけないのです。
なぜならば
いつものび太がやられてて
それが私には耐えられなかったんです。
感受性が強かったのか
境界線が曖昧だったのか。
どちらもかもしれません。
この話を息子にしたら、
息子は
「でも、今はみてるよね?」と
聞いてきました。
(←鋭い)
「大人になって、
ドラえもんは
実際には起こってないお話だと
わかってるからね」と
返しました。
感情の境界線は自分で引ける
この会話を通して
私はあることに気づきました。
感情の境界線は
自分の意思で
出したり引っ込めたりできるように
なったんだなぁということに。
ドラえもんを純粋にお話として
捉えられて
自分のことと混乱させないように
なっている。
一方で、感動したら
ちゃんと泣ける。
最近、
映画館に
映画を観に行くようになったんですが、
大画面で映像作品を見ると
映画の世界に没入して
感情が動かされます。
「かがみの孤城」は泣けた…
これはむしろ
普段押し込めている感情を
出せているわけで、
カタルシスだよなぁ、と
思ったのでした。
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