2016年6月9日

丸2年(正確には始動ライブまでの準備期間もあるけども)の活動を経て、高田馬場club PHASEの公演をもってD4Cは解散しました。

BRANDROIDというバンドの活動のある中でもう一つバンドを始めるという事に不安もあったけど、終わった今にして思えば本当によく頑張ったと思う。

Rimoさんからバンドへのお誘いを受けて、SUCKKとtk6とまずは4人でメンバー探し。
そしてこーちゃんが加入して、宮路ヤスアキが加入して。D4Cという名前がついて。

新宿RUIDO K4での始動主催でもって本格始動したD4C。


正直他のメンバーに比べてバンド経験が浅かった僕はとにかく色んな事が初めてで、とにかく本当に活動の全てが刺激的でした。

まぁ、色んな事は散々書いてきたから割愛するけど、
とにかく頑張ったし、楽しかったし、苦しい時もあったけど、結果として最高の2年だったって胸張って言える。


そう思えたのはやっぱり応援してくれる皆がいるからです。

6/9のあのライブが、本当に感情のままに、皆がきっと全てを解放していたから、あの日あの瞬間にしか出来ないあの空間が出来上がったと思う。
皆の顔を見て、メンバーの顔を見て、D4C最高じゃん!って思えた。

終わりが決まってるから出来た事なのかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、結果として今僕はD4C最高だったじゃん!って胸張って言える。
そう思えるように自分も頑張ったし、皆がD4Cを愛してくれたからだと思う。


本当に本当にありがとう。






一つね、
僕が脱退を口にした時に、こーちゃんがさ、すっげー寂しそうな顔した(気がする)の。
こんな事言ったら「んなことねー」って言われそうだけど(笑)
本当に誰よりもD4Cを愛してたのがこーちゃんかなって僕は勝手に思ってて、脱退を告げてからしばらくこーちゃんの顔まともに見れなくて、ステージではすぐ隣にいるのに顔見れなくて、
正直すっげー辛かったし、嫌われても仕方ないって思ったし、
それでもこーちゃんはきっとめちゃくちゃ僕にガッカリもしたんだろうけど、きっとめちゃくちゃ辛かったんだろうけどそれでも今まで通り接してくれて、
最後の最後まで僕をD4Cのメンバーとして受け入れてくれて、笑いながら話してくれて、だから僕も最後までしっかりD4Cのメンバーとして胸を張っていられました。

ごめんね。
でもありがとねこーちゃん。大好き!(笑)




あともう一つ、
Rimoさんには本当に長いこと世話になっていて、D4C以外での付き合いもずっとあったから、なんだかんだめっちゃくちゃずっと一緒にいさせてもらいました。
僕が上京してきて、…あれは渋谷TaU KITCHENとか新宿Motionとかでポピュがイベントやってた頃かな、Ash_Doll(後のAsh'D soul)てバンドのサポートでポピュのイベントに出るようになったのがキッカケで、当時のRimoさんのバンドのお手伝いさせてもらったり、ポピュのお仕事でも携わるようになったり、一時期は本当に毎日会ってたんじゃないかってくらいずっと一緒にいた時もあったし、
時には激ギレさせてしまった事もあったし(笑)、一緒にリモ☆べぇなるアコースティックユニットでライブしたり、まぁ本当に色んな場面で一緒にいて、
僕が今こうして沢山の人と出会えて沢山の人の前でギターを弾いていられるのは間違いなくRimoさんのおかげで、
バンドとしてのいろは、人としてのいろはも最初に教えてくれたのがRimoさんで、
なんだかんだ9年くらい、本当にずっとお世話になりっぱなしで、迷惑かけっぱなしで、僕は勝手に東京での育ての親だと思ってます。

今回のD4Cの解散でもってRimoさんと一緒にいた日々(一緒にいた日々ってなんかやだな(笑))に一旦の区切り。まぁポピュのイベント出たりとかはするかもだけども。

別にここで言う事じゃないかもだけど、
本当に恐ろしいくらいの迷惑かけてしまいましたが、懲りずにずっと付き合ってくれて、沢山の事を教えてくれてありがとうございました。
本当に尊敬しているし感謝してます。


tk6先生ともなんだかんだ付き合いだけは本当に長くて、
お互い無口で遠征の車中も全然会話してないけど(笑)
きっと普通の人と3日一緒にいたら終了しちゃうくらいしか話してないかも(笑)
でも実は人の事よく見てて、なんかあった時は心配して声かけてくれて、色んなアドバイスもくれて、音楽家としても凄く尊敬しているし、一緒に音楽出来て本当に良かった。
ステージでちらっと見るとキーボードに手置いて暇そうにしてる姿も、ショルキー抱えて無邪気な顔して笑ってる姿も凄く印象的で、この6人でD4Cって事に実は凄く拘ってくれたのもtk6先生だった気がしてます。
いまだに名前の読み方がわからないけど(笑)
(最終的に僕の中では「てけろく」で落ち着いてます)



このD4Cで一番一緒にいたのが宮路兄さん。
お昼は一緒にネットで評判のとこいってランチしたり(OLか(笑))、ライブ終わったら車チームを尻目に乾杯して、時には宮路部屋で朝まで飲み明かしたり、美味しいお店連れてってくれたり、ビールの新商品が出たら一緒に味比べしたり、

…あれ、飲みの話題しかない(汗)。

いや、でもギタープレイに関してもやっぱり同じギタリストとして色んな事教えてもらったし、とにかく一番話して一番一緒にいた。
僕が最初にバンド活動に挫けそうになった時にも「もうちょっと一緒にやろや」と言ってくれた言葉があったからこれまで続けてこれたのも事実。本当に色々お世話になりっぱなしですんません。
ま、またすぐその辺で一緒に飲んでそうだけど(笑)
バイリグとの対バンもあるしね。


SUCKK氏は、ここでなんか書いてもBRANDROIDのShinsakuとして嫌ってほど顔会わせるからまぁいいか(笑)
ただD4Cでもムードメーカーとしてホントにバンドの空気を作ってくれて、でも天然で(笑)、ても誰よりも真面目で、人生で初めて書いた曲、かなりメンバーは魔法にかけられたけど(笑)、ちゃんと形になってライブの定番曲にもなって、それがなんだか僕も嬉しくてね。
BRANDROIDもあるから一緒にいることが必然的に多いからね、色んな相談にも乗ってもらったし、ずっとこれからも僕の良き兄貴。


なんか、色々僕の主観で綴ってるので、本人の意思とは違う部分もあるとは思うけど、勝手に言ってるだけだからあんまり気にしないで下さい。

本当にたったの2年、されど2年でしたが、
もうとりあえずは本当にこの6人で音出すことないんだよね。
多分きっとD4Cってなんだか特殊で、人数も多いし、キャリアもバラバラだし、皆我が強いし(笑)、きっと関わってくれた皆様には多大なご迷惑もおかけしたと思います。
それでもD4Cを愛して最後まで付き合ってくれて本当にありがとうございました。


僕は、前から思ってる事だけど、
バンドってたまたま集まったそのメンバーがたまたま一緒に音出してるだけで、
だからまた何かのタイミングで一緒にやる機会があれば一緒に音出しゃいいじゃんて思ってるんだけど、
だけど、だからよくわかんないんだけど、解散ライブの打ち上げも終わって、電車で一人になった時に、なんかすっげー涙止まらなくなって、

きっと自分で思っている以上にD4Cが大切な存在になってたんだと思います。


お客さんにとってはそれぞれのD4Cで良い。
たまたま見たことのあるバンドかもしれないし、毎回通ってたバンドかもしれないし、なくてはならない存在だったかもしれない。
嫌いだった人もいていい。


ただ、僕ら6人と皆で作り上げたD4Cの音を存在を、いつまでも忘れないでいてくれたら嬉しいです。

僕も忘れないし忘れられないし。
6/9のあの光景を、一瞬一瞬をしっかり刻み込んだから。

D4Cというバンドをやっていた事、D4Cというバンドを応援していた事がただの思い出じゃなくて、それぞれの未来の為になるように、いつまでもD4Cを愛し続けてくれたら嬉しいです。



一つね、とか言ってからめっちゃ色々書いてるけど(笑)



お客さんも関係者の皆様もだけど
なんか今だけはこんな僕に2年間付き合ってくれたメンバーに一番の感謝をさせてください。

本当にありがとうございました。



また例の日に☆






んでは、
D4C最後のセトリ!

SE.The Wheel of Fortune
01.進撃ファンファーレ -THE CHARIOTS VII-
02.NEPENTHES #6.
-MC-
03.Dancing 仏陀's World
04.テキーラ☆チキータ
05.THE SUN XIX. -太陽のCarnival-
-MC-
06.罪人 -The Hanged man-
07.THE JUDGEMENT XX. -マザーコンピューターの苦悩-
08.VANILLA SKY
-MC-
09.雨上ガル -THE STRENGTH VIII-
10.SCARY MONSTERS
11.KILLING×KILLING ME!! -LOVE TRAIN’S BOUNCE!!-
12.運命の車輪 -Icalus flying-

EN01.THE SUN XIX. -太陽のCarnival-
EN02.KILLING×KILLING ME!! -LOVE TRAIN’S BOUNCE!!-


やりきった!





そう!俺たちが!

D!4!C!

でした☆



ありがとね♪




またね。