三島由紀夫が昭和31年8月号の「文学界」で 「自己改造の試み、重い文体と森鷗外
への傾倒」を吐露し、三島自身が「金閣寺」「禁色」「沈める滝」の3作品は全て
森鷗外の文体の影響を受けている、と語っている。
【三島由紀夫 (1925-1970) が賞賛していた森鷗外 (1862-1922)】
そんな森鷗外は2歳年齢を詐称していた、勿論悪事の為では無く、学業優秀な為に年齢
を誤魔化して東京医学校(東大医学部の前身)に入学したのだ。 鷗外は13歳だったが、
当時飛び級制度などなく、医学校の入学資格年齢は15歳なので、2歳サバ読み入学願書
を提出し受験して、見事合格したのだった。
閑話休題、三島の「仮面の告白」にも、『鷗外の情澄な知的文体は私への救いとして
現れた、そこで私は鷗外の文体模写によって自分を改造しようと試みた』と、三島は
森鷗外への胸中を吐露しているのだ。
又、三島の「私の遍歴時代」にも『鷗外の規矩の正しい文体で、冷たい理知で、
抑えて抑えて抑えぬいた情熱で、自分を鍛えてみよう』と、三島の鷗外への思い入れ
が凄まじいのだ。
それでは、鷗外のどの作品が好きなのか、三島が挙げたのは「寒山拾得」「百物語」
そして「花子」と何故か全て短編なのだ。一般的に森鴎外の代表作と云われているのは、
全て長編の「雁」「渋江抽斎」「安倍一族」そして「高瀬舟」等を挙げていないのが
不思議なのだが。
(参考文献:決定版三島由紀夫全集/三島由紀夫研究年表/文学界/
ドナルド・キーン思い出の作家たち/三島由紀夫が復活する)