当ブログでも葉隠に就いては何度か触れているが、三島由紀夫は、エッセイ「小説家の

休暇」(昭和30年)の中で葉隠聞書に就いて私は戦争中から読みだして、今も

時折読む 類の無い不思議な道徳書と。 

                                        

                                        【葉隠の口述者、山本常朝】

 

 

  【葉隠入門(S42) + 若きサムライのために(S44) + 行動学入門(S45)】

 

そして三島は、自刃する前年、昭和44年に精神講話集「若きサムライのために」

書下ろし、その著書の中で ”文武両道と死の哲学” と云うテーマで福田恒存と対談をして

いる。其処でもまた三島は葉隠について言及している、 正に葉隠は三島由紀夫の行動

哲学の規範なのだ。

 

閑話休題、

人は初対面の相手を如何に判断するか、80%以上の人が外見から其の人となりを知ろう

とする。勿論言う迄も無く、人は外見ではない中身が大切だ、心の持ち方が重要だ。 

しかし、初対面の相手の性格など人となり迄は殆ど判断は不可能だ。だから先ずは、

目から入る情報で判断する以外無い。

 

其れは江戸時代でも同じ事、佐賀県鍋島藩に伝わる葉隠武士の生活指南書と云われて

いる 「葉隠聞書」では、

武士道といふは、死ぬ事と見つけたり』が余りにも有名だが、一方、外面的道徳と

して『男子は恭しく、苦みありて、調子静かなるが良し』、恭しくとは相手を信頼させ、

慎み深く謙遜する態度、苦みとは威厳、 この二つを含む外見が“調子静か、即ち寡黙

で、ものに動じない落着きの態度が本当の武士には要求されると説いている。

 

そして武士は『風体の修行は不断 鏡を見て直したるが良し』 として、 鏡は女だけの

化粧道具ではない、男も鏡を見て自分を良く観察し反省し、『顔つき仕直し申すべし

と現代風に云えば鏡は Men’s Gearと捉えているのだ。

 

だから、万一痛飲し顔色が優れない翌朝登城する場合『少しばかり紅をさすも良し』と

まで勧めているのだ。つまり今風に云うならば二日酔いの翌日出勤する際、顔色が良く

なければツヤ肌に見せる為にチークをすれば良いと云ってる訳だ。

事程左様に武士たるもの、常に他人からどう見られているかにも注意を払いなさいと

説いているのだ。

 

蛇足だが、いつも ノホホンの岸田首相や、自分のスキャンダルから逃げている横柄面

の木原誠二副長官、マイカ誤登録無責任男の河野太郎など政治屋には、 呉れぐれも

顔つき ”も” 仕直し申すべし」と言っておきたい

   

    

 【岸田文雄、河野太郎、木原誠二等に言う、『顔付 ”も” 仕直し申すべし』

 

 (参考文献:葉隠入門/若きサムライのために/三島由紀夫研究年表/

                 行動学入門/三島由紀夫全集)