三島が自決する2年前、某記者が取材の為、大田区南馬込の自宅を訪ねた際、

三島は通常は深夜から朝にかけて執筆活動をしているので、いつも起床は

昼過ぎなのだが食後長男の威一郎君を幼稚園に迎えに行くのを日課にしていた。

 

そして三島邸は、庭にはビーナスやギリシャの彫像などが配置されている訳

だが、そんな雰囲気の中、三島が長男の威一郎君を肩車して帰宅したが、

突然“とうちゃん!”の声がしたのだが、件の記者は 『お子さんが三島さんに、

とうちゃん!と呼び掛けたのが三島由紀夫さんのイメージに合わず戸惑った』

とある記事に書いていた。

 

確かに1959年に清水建設が施工した三島邸の写真集を見ても建物外観は

白亜のコロニアル様式、庭園にはアポロ像等を置き、インテリアはフランスや

スペインで自身が買い集めたロココ風の骨董品など全てクラシックな欧風中心

で“和”の趣向は無いが、それはそれとして三島精神の根底は古典的

益荒男振り」の“和”故に“とうちゃん”と呼ばせていたのだろう。

 

(参考文献:三島由紀夫研究年表/三島由紀夫の家=篠山紀信撮影